1994年、欧州遠征の一週間前、日曜日の代々木で行った即興彫刻。そのころは原宿のホコテンがあり、良い時代だった。中途で警備員に追い出されそうになったが、交渉の末、なんとか最後まで仕上げることができた。
完成までおよそ4時間。多くの友人が集まり、手伝ってくれた。
コンクリートのドラゴンに竹槍で挑戦するドンキホーテの図。
完成した記念に三三七拍子ならぬ黄金比拍子を皆で叩く。

午後四時に片づけはじめる。解体時間4分33秒。



その一週間後、学会発表のためアイルランドへ出発。
途中、英国に立ち寄り、Roger Penroseと会ったり、ストーンヘンジを訪ねたりした。


私は幾何学の研究を始める前、ストーンヘンジに関する研究を半年間行い、論文を一本書いたことがある。いわばストーンヘンジは私の出発点である。それと同時に、建築史における出発点でもある。

強烈な風が吹きつける見渡すかぎり荒涼としたソールズベリ平原に、忽然として巨石群が現れた。周辺全域はなぜか軍隊の演習場になっていて、ものものしい雰囲気が張り詰めていた。
 ストーンヘンジは貴重な国家遺産として厳しく管理されていて、観光客はモニュメントの中心部へ侵入することは許されない。しかし私はここでも当局を相手にかけ合い、私の造形作品を見せながら、ストーンヘンジとバンプーヘンジの関係を懸命に説明したのである。その真剣さが通じたのか、結界内部中心ゾーンに入れてもらうことを特別に許して頂いた。
 午後5時すぎ、観光客全員が帰った後、私は残り、そしてたった一人、ストーンヘンジの内部を自由に歩き回った。それまではひどい雨と風だったのだが、にわかに晴れ間がのぞき、沈もうとする太陽が雲間からさした。なぜか耳鳴りがずっと続いていた。突然東の空に虹が立ち、私は何と幸運なのかとしみじみとしたものだ。
 私はふと我にかえった。そんな感慨に耽っている場合ではないのだ。時間は限られている。私は最後の5分間、この世にもまれなるストーンヘンジとバンプーへンジの出会いを記録に留めなければと写真を撮りまくった。これはそのときの一枚である。
 題して「ストーンヘンジとバンプーへンジ、4500年目の邂逅」である。(ストーンヘンジは4500年前に着工されたとされている。)


1995年6月、インドネシアのバリ島で開かれた国際竹会議ならびに国際竹フェスティバルに参加。
祭典会場となったリンダ・ガーランド邸の庭に、現地で竹を調達し、即興彫刻を作った。バリの人々に音楽も聞かせ、とても気に入られた。五勾の籠を置いて行けとしつこく迫られたものだ。

このときの活動はインドネシアの雑誌に報告された。

風の噂では、現在はもうここには無いとのことである。

バリ島の文化水準の高さは想像を絶するものがあった。都市計画家はバリを見習うべきである。


1994年、徳島県の建築家野々瀬徹氏のはからいで、ジャストシステム社のエントランスに、540本の竹を使った星籠を作る。

2年後に解体することになったのだが、せっかくだから多くの友人に呼びかけ、手伝ってもらった。
2年近くこの場所に置かれていたにもかかわらず、カーペットにはまったく跡が残らなかった。それもそのはず、床に接する竹一本あたり6本分の荷重しかかかっていないからである。6本の竹は小指で持てる重さである。

トップページに戻る