STAR CAGE
竹の都市、竹の幾何学、竹の音楽、竹の経済
at
武蔵野美術大学

©2022 日詰 明男

10 - 22 Oct. 2022

主催
武蔵野美術大学 基礎デザイン学科


昨年建設したインフラ・ストラクチャー資産「ニューロ・アーキテクチャー」を発掘し、新たな音楽都市を再建する。
故 樋口源一郎氏の研究によると、粘菌でさえ前世代の死骸を支持体として巧妙に再利用し、3次元都市を建設するという。

都市は過去の建築遺産の上に少しずつ手を加えられながらゆっくり成長してゆく。
ある数学者は「都市は積分値である」と言った。

それに対して、祭りの生命は一回性である。
この一回性が都市に「生気」という花を添える。

都市という「地」なくしては祭りという「図」は生じないが、祭りの無い都市は滅びるだろう。
よき祭りをするために都市はあると言って過言ではない。

この一連のワークショップでは学生らとともにそのすべてをデザインする。


具体的内容は、第一に、6次元空間格子の3次元空間への射影である「六勾(むまがり)」を竹で構成する手順を伝える。
第二に、上図面のような6次元空間格子の2次元空間への射影であるペンローズ・タイル状の都市計画「ニューロ・アーキテクチャー」を、砂曼荼羅や古代エジプトの測地技術(Geometry)よろしく、紐だけで作図する方法を伝える。
第三に6次元空間格子の1次元空間への射影である「フィボナッチ・ケチャック」の演奏法を伝える。

初日、導入として簡単なレクチャーと、ジグを用いて小さな星籠を作るワークショップを行った。
黄金比の造形や音楽をひととおり紹介する。

2日目、屋外に出て、大きな星籠を作る方法を伝授する。

くじ引きで8人ずつ5班に分け、大きな星籠を一体ずつ組み立ててもらった。
今後2週間、さまざまな学科が入り混じったそれぞれのグループには、運命共同体を演じてもらい、一種の都市計画ゲームをやろうという趣向である。
このゲームはヴァーチャル空間(セカンド・ライフ)ではなく、リアル空間(ファースト・ライフ)で行われる点が時代と逆行するところである。

毎日、午後2時から5時までの3時間、私の制作の手伝いをしてくれた人にはボックリ紙幣でお礼をした。
フルタイム手伝ってくれた人には10ボックリ。
写真はボックリ・バイト初日。
作業の指示をしているところ。

くじ引きで分かれた班の名前はスクエア、デルタ、オイラー、セブン、イレブンの5班である。
ある程度ボックリが流通した段階で、ベーシックインカムとして各班に10ボックリを給付した。
経済流通へのカンフル剤となるだろう。

10ボックリ紙幣シート。
授業最終日である10月22日はフリーマーケットも開く予定であり、ボックリ紙幣はその日のみ有効で、次の日には紙切れとなる。

例年私は「星売り屋」と称する幾何学オブジェを販売する店を開いている。
去年まで、たとえば私の著書「音楽の建築」の値段は4ボックリだったが、今年は20ボックリに設定した。
これは値上げではなく、いわゆるデノミである。
このデノミによって、よりきめ細かい購買(投票)行為が可能となる。

授業2日目。
切り、割り、縛り、削り等、基本的な竹の加工法を伝授。

竹ひごで1/20の模型を作りながら構想を練る。

近所の竹林から竹を切りだし、人力で学校まで運ぶ。

作業開始。

結(ゆい)。

結(ゆい)。

結(ゆい)。

むき出しの構造だけでもインスタレーションとして成立している。

悪戦苦闘の高所作業。

主体構造がほぼ完成したチームの喜びの表情。

コロナ以前はこの集落内で、竹の食器を自分たちで作り、端材の竹を囲炉裏にくべ、端材の孟宗竹で飯を炊き、自在鉤に大鍋を吊り下げ、持ち寄った具材を煮込み、定番の「ストーンスープ」を作って分け合い、空腹を満たしたものだ。

ストーン・スープ

むかし二人の旅人が腹をすかせてある村にたどり着きました。 最初の家の戸を叩き、村人一号がでてくるや、「僕たちおなかがぺこぺこで死にそうです。なにか食べさせてくれませんか?」とたのみました。
しかし家の人は「お前らに食わせるものはねえ」とピシャリ。
次の家も、次の次の家も同じでした。
結局、一軒も食べ物を恵んでくれる家はありませんでした。

そこで旅人はどうしたかと言うと、村の中心にある広場で、手持ちの鍋に水をたっぷり入れ、薪で沸かし始めました。
そしてお湯が沸いたころ、大きな石を鍋の中に放り込みました。
それを見ていた村の子どもが旅人に近づき、
「おじちゃんたち何しているの?」
と聞きました。
「ストーン・スープを作っているのさ。これはとてもおいしいスープなんだよ。」
と言って、柄杓で少しすくって味見してみせました。
「うーんうまい。でも塩があとほんのちょっと入るともっとおいしくなるのだがなあ。」 と旅人が言うと、その子どもは「家にあるよー」と言って家に帰り、家の人をつれて、塩を持ってきました。
旅人はその塩を鍋に入れて、また味見をします。
「うーん最高だ。でもここに玉ねぎがちょっと入るともっとおいしくなるのだが」
そう言うと、また別の子どもが家から玉ねぎを持ってくるといいます。
玉ねぎを入れると、次はジャガイモ、にんじん、肉という具合に、どんどん具材が集まり、最後には村人全員がストーン・スープの周りに集まっていました。
そして旅人と村人は、本当においしくなったストーン・スープを皆で分け合って食べました。
(責任翻訳/日詰)

楽しくて、おいしくて、しかもゴミを出さないこの風習は、環境的にも精神衛生的にもとても良いものであった。
話題は社会から芸術、宇宙にまで広がった。
昼間の授業は方便にすぎず、夜のこの時間こそ本物の「飛ぶ教室」だったかもしれない。
しかし、このご時世ではご法度とのことで、せめてもと思い、夕刻から野点茶会を開いた。
呈茶したのは日詰茶園(静岡川根本町)の無農薬無肥料手摘み紅茶(製茶:茶師益井悦郎)である。
プレアデス・ランプの灯りの下に、学生たちが菓子を持ち寄り、自然と集まってきた。
自ら竹を切ってマイカップを作ることがルール。 ほとんどの学生にとって、和紅茶を味わうのは初めてだったようだ。 茶会もまたよきかな。



授業最終日は講評の日でもある。
この日は各班が精魂込めて建てた竹の家が完成しており、それを舞台装置として自由形式のパフォーマンスが繰り広げられる。
星ぼっくり村の行政を司る私は、住民たちに投票券として各自8ボックリを給付した。
自分が所属する班以外の建築、パフォーマンスにそれぞれ4票(4ボックリ)を投票できる。
4票をすべて一つの班の作品に投票してもいいし、1票ずつ4つの班に投票してもいいし、自由である。

たとえば上の写真はデルタ班の建物で、35票の建築部門トップ賞を獲得した。

パフォーマンス部門トップ賞はオイラー班で48票を獲得した。

神社、禰宜、祝詞、御神輿、お囃子の再構築。

七夕をテーマにしたパフォーマンス。


投票箱を鏡開きし、各班が獲得した票数を数える。
1票は1ボックリなので、獲得した票数はそのまま班への賞金となり、構成員の中で分配することになっている。

昼下がり、自作の竹ベッドに横になり、読書に耽る学生。


最終日の午後は日暮れまで自由市場が開かれた。
私の星売り屋以外にも、手作りケーキ屋や楽器屋、画廊を開いた学生がいた。
トランプやバックギャモンでボックリを稼ぐ学生もいた。
ケーキ屋はケーキ一個2ボックリで売り歩き、完売したようだ。
その店主は売上で画廊の絵を数枚買ったそうだ。
楽器屋も手作りの竹の笛を完売した模様。
その他、住民の間での寄付や贈与がかなり取り交わされたようだ。

こうした経済流通の末、わが星売り屋ではかなり高額なプレアデス・ランプ(100BK)、ジュエリー(70BK)が売れた。
著書「音楽の建築」(20BK)も在庫の5冊がすべて売れた。
その他数ボックリで買える小品も多数売れた。
星売り屋付属の喫茶部で紅茶を1杯1BKで売ったところ、かなりの注文があった。

2022年、竹の都市全景。

今年も芸祭期間、竹の実験都市は一般公開された。
毎年、執行部側から「危険だから立ち入り禁止にせよ」という圧力があるが、それは論外である。
そもそもこの実験都市のコンセプトは、タブローたる「お行儀のよい作品」を脱し、使ってなんぼの新しい建築/都市を建設し、実際に住むことである。
質においても、規模においても、従来の芸術作品の範疇を超える試みである。
この都市内を歩くだけでも掛け値なしに新しい非言語的幾何学体験となる。
その新しい幾何学は「意識」ではなく「無意識」に確実にはたらきかけるのだから。

私の定義では「芸術」は既存の枠組みを超える行為、運動そのものであり、作られた作品自体はいかなる意味でも「芸術」と呼ぶべきではない。
「生命」もしかり。子供は親を否定して大人になる。芸術や生命はそのように凡庸なる現在を乗り越えて進化してきた。
規則のための規則を杓子定規に振りかざす行為は、芸術から最も遠い所にある。

家族連れが都市を探索。


随時、フィボナッチ・ケチャック(通称たたけたけ)ワークショップが開かれた。

ギャラリー・ツアーとして、実験都市全体を使った即興パフォーマンスを披露。
沸き起る拍手。
「感動した」と言ってくださった観客も。
一般客は竹の構造物に登ることが禁じられているので、パフォーマーたちに託して疑似体験するほかはない。
これは「演劇」の機能である。世界模型としての演劇の誕生。

紳士淑女から依頼があれば、フィボナッチ竹車に乗せて、星ぼっくり村周遊ツアーを随時執り行った。

芸祭最終日、日も暮れ、いよいよ星ぼっくり村が閉じようとする間際の30分、どこからともなく人々が竹の集落に集まり、演奏が自然に始まった。
竹の楽器はそこかしこに転がっている。
竹の建築もまた楽器となる。
次から次へと奏者が加わっていった。
そして踊り出す人々まで。
竹の集落のオーラがなせる技か。

準周期都市に準周期ポリリズムが延々と鳴り響く。
驚くべきことに皆100パーセントしらふである。
時間制限さえなければ、演奏は夜明けまで続いていたであろう。

この数十分は期せずして圧巻と言うべきフィナーレとなった。
こんなことは初めてである。 13年継続してきただけのことはあった。 星ぼっくり村年代記に永く語り継がれるであろう。

余談だが、以上のような土壇場の盛り上がりゆえ、午後6時過ぎ、芸祭強制終了に10分ほど遅れて学校を退出することとなったのだが、その際、執行部から厳しいお叱りを受けた。
芸祭は、余韻を楽しむ時間さえ許されないのだろうか。
世知辛いご時世である。
いつから美大は管理社会を模倣する場になったのだろう。

芸祭終了翌日、全員で一斉解体撤去した。
祭りの後。ペンローズ・タイルだけが残った。
ほどなく無構造の芝生に戻るだろう。



CODA

人、建築、音楽、食、経済を総動員させ、都市は筋書きの無い劇場と化す。
「都市」は祝祭を生む装置にほかならないのだから。
ニューロ・アーキテクチャーにはニューロ・アーキテクチャーならではの祭が生まれてしかるべきだろう。
普通、他学科の学生同士が交流する機会も少なかろうが、今回の企画で自然に友達になれたと言ってくれた学生が多かった。たたけたけの練習はその格好の架け橋になったことだろう。
誰でも何かしら演奏にかかわれる「たたけたけ」は、強力なコミュニケーションの道具ともいえる。
個を殺さない社会の雛形を見た学生もいた。
その学生の視野にはベーシック・インカムの価値観がしっかりと根付き始めている。

予想を上回る静かな熱狂、自発的創造の発動、交換経済が、誰が掛け声をかけるわけでもなく、自然に生まれた。
人、竹、建築、都市、幾何学、音楽、経済と、一見無関係に見える要素が有機的に絡んで進行し、自律運動を始めた感がある。
これもスタッフをはじめとする方々の支えがあったからであることはもちろんだが、加えて幾何学の力が大きかったと思う。
押し付けがましくない幾何学とでも言おうか。「自由の幾何学」
今回学生に提示した幾何学というインフラは、かくも自由で豊かであることを、学生たちは無意識にせよ実感してくれたのではないかと思う。

都市の実験は成功した。
いつの日か、5角形の恒久的都市インフラが実現するのは数学的必然であろう。
それは明日かもしれないし、あるいは千年後かもしれない。

学校は社会の縮図である。
あらゆる面で閉塞した現代社会において、義務教育を含めたどの教育現場にも重苦しい閉塞感が深く影を落としている。
しかしそれを逆手に取ることによって、学校でこそ未来に可能な社会の雛形を提示できるのではという一縷の希望を、今回武蔵野美術大学で私は学生と共に垣間見ることができた。


photo, filming
Hiroyuki Hashiguchi
Saki Fuchita
Akio Hizume

architect, composer, director
Akio Hizume

coordinator
Takaaki Bando

project assitant
Hiroyuki Hashiguchi

special thanks
小川寺
中里様
富沢造園
けやき荘

official assitant
Takuma Kamata


Tribute to Sir Roger Penrose

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