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ベン・シャーン再び
by 日詰明男
ほぼ半年振りに東京に行った。

予想に反して東京は異常な賑わいだった。
福島原発の事故などどこ吹く風である。

深刻な現実など考えたくもないという、ほとんどやけくその心理なのかもしれない。
これも生物学的な本能なのであろうか。
みな秋元康プロデュースのAKB48に夢中。
彼はそれを芸術だと嘯く。
これが「芸術だ」と言うなら、ローマ帝国末期、あるいはナチスの開発した手法、すなわち現実から目をそらせ、大衆を洗脳する広告代理店的手法は第一級の芸術ということになろう。

そんな東京を早々に脱し、私は葉山の神奈川県立美術館に立ち寄り、ベン・シャーン展を観た。
彼のまとまった展覧会を観るのは30年ぶりである。
7歳から11年間書道に親しんだ私としては、篆書に通ずる彼の描く線がたまらなく好きだ。
有名な作品群に加え、紙切れに描かれたスケッチや写真を沢山見ることができた。
氏は1960年に来日し、当時近代化へとひた走っていたとはいえ、彼の目に映る日本の町並みはさぞや驚きに満ちたものだったのだろう。
滞在中、ベン・シャーンは写真を撮りまくっていたようだ。

彼の全作品には墓碑銘に似た死へのまなざしを強烈に感じる。
周知のとおり、彼は多くの冤罪事件、第五福竜丸事件など、風化させてはいけない社会問題を作品に封じ込め、永遠にプロテストすべく刻印した。
他の媒体ではどうしても限界がある。
新聞記事に何が書かれようとも、瞬間的にどんな噂が広まろうとも、民衆をして忘却せしめる術を心得ている行政当局にとっては「屁でもない」からである。
いわゆる「柔らかいファシズム」に抗うために、芸術の力は必須であることをベン・シャーンの作品は実証している。

福島もそのように昇華させなければならない。
永遠の負の記念碑として。

原発事故以後、ほぼ一年の経過をみるに、福島、否、日本全土は世界の犠牲に供せられる運命に向かっているように思えてならない。
何千年もかけて培い、無数の人々の手で磨きをかけられ、世界中の羨望の的となっていたほどの風土が、たかだか数十年の愚行によっていともあっさり葬り去られる。
世界を救うために、この国は世界一美しい風景と共に滅びるべきなのかもしれない。

この展覧会は最終的に福島へ巡回するそうだ。

展覧会の後、のんきに江ノ電に乗って静岡へ向かった。
江ノ電に乗るのは初体験。
噂にたがわぬかわいらしい路線である。
藤沢からJRに乗り換え、急ぐ旅でもないので鈍行を使い、いつのまにかウトウト。
目覚めれば目の前に巨大な富士山が車窓一杯に見えた。
西日を浴び、冠雪が紫に染まっていた。
「今日の富士山はすすり泣いているねえ。」(←岡本太郎のパクリ)
赤富士ならぬ紫富士。
黒澤の夢を思い出さずにはいられない。
そういえば先日、それとそっくりの夢を見たっけ。
富士の溶岩が降り注ぐ大地で地震が何度も何度も起きた。

富士駅に停車すると、おりしもちょうど5時なのか、町営スピーカーから小学校で何度も歌わされたあの童謡「富士の山」のメロディが聞こえた。
紫富士を見ながらその旋律を耳でたどっているうちに、はたと、後半の旋律は富士山のシルエットをそのまま写したものであることに気付いた。
これは一般に知られていることなのだろうか?

家に帰ってから、さっそくその作曲者は何者かと調べると、なんと作者不詳なのだそうだ。
詠み人知らず、おそるべし。



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