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Cosmic Nonsense
by 日詰明男
地球も太陽も天然の原子炉。これで必要十分。
今まで何十億年もやってきたように、今後何十億年、生き物はそのおこぼれ(余熱)で楽しく暮らしていけたのに。
温泉入って、日光浴して、酒飲んで、歌うたって、少し野良仕事や狩猟して。
紙と鉛筆があれば絵も小説もかけるし数学も只で研究できる。竹があれば家が建つ。

原発は「宇宙的ナンセンス」。
原発を否定する理由は多々あるが、この「宇宙的ナンセンス」という認識が問題の急所だと思う。
宇宙的にナンセンスなのだから、当然採算が合うはずもなく、生態系や健康を害するのはあたりまえ。
宇宙法がもしあったとしたら極刑に値する。
いや不文律というべき自明な禁則だともいえる。
しかし、人類はそれを愚かにも破ってしまった。

軌道修正は早ければ早いほど良い。
偶像否定ならぬ人工原子炉否定。

というメッセージを、前回の小噺に籠めたつもり。

|| 17:20 | comments (x) | trackback (x) | ||
SF風ナンセンス小噺
by 日詰明男
福島原発の反省から、国家の威信をかけ、未来のありうべきエネルギー政策を、権威においても誠実さにおいても、絶大なる信頼を得ているひとりの科学者に一任することになった。
そしてその科学者は世界の期待に応えるべく、万が一、いや億が一のことがあっても安全な「究極の原発」を設計した。
それは地下10キロを超える深さに建設される原発だった。
それほどの深さならばどんなに過酷な事故が起こっても、地上に被害は及ばないからである。
世界中の人々は彼のアイデアを賞賛した。

だがひとりの哲学者がそれに異を唱えた。「それなら地熱発電の方がましだ」と。

科学者はあらためてコストを計算すると、たしかに哲学者の言うとおりだった。

科学者は考え直し、新たに、オゾン層を越える高さの衛星軌道に原発を建設し、地上に電力を供給するシステムを発明した。
それほどの高さならばどんなに過酷な事故が起こっても、地上に被害は及ばないからである。
世界中の人々は彼のアイデアを賞賛した。

ところが、ふたたび哲学者はそれに異を唱えた。「それなら太陽光発電の方がましだ」と。

科学者はあらためてコストを計算すると、たしかに哲学者の言うとおりだった。

そして科学者は、地熱発電と太陽光発電こそ「明るい未来の持続可能なエネルギー」だと言い始めた。
世界中の人々は「彼が言うならそうなのだろう」と納得した。

ところが、ふたたび哲学者はそれに異を唱えた。「暖をとるなら、木や竹や草や家畜の糞を燃やした方がましだ」と。

その後その科学者は世俗を離れ、死ぬまで数論の研究に没頭し、素数に関するいくばくかの業績を残したとのことである。

|| 22:39 | comments (x) | trackback (x) | ||
この信じがたい選挙結果はいったい
by 日詰明男
衆議院選、そして都知事選。
ここまでひどい結果に終わるとは。。。

54基の原発を作った張本人の自民党を大勝させるとは。
最大の被害を受けたはずの福島県でさえ。。
結果で判断するならば、国民のほとんどは福島から何も学んでいないことになる。

まともな言論が通じず、大声で恫喝するハッタリ屋が栄える時代。
ナルシストのヒットラーが若干4名、早くも醜い増長ぶりを曝している。

増税、憲法改悪、徴兵、戦争と悪政は続くのだろう。
福島原発での不毛な作業にも生身の国民が強制的に駆り立てられるだろう。
多くの国民は、この恐怖政治が始まることを覚悟して投票、あるいは棄権したのだろうか。
まったく信じがたい結果だ。

|| 20:41 | comments (x) | trackback (x) | ||
山本太郎の演説
by 日詰明男
岩上安身のIWJで今日12月14日荻窪駅前で行われた山本太郎の演説を聞いた。
言葉に力がある。
応援演説の沢田研二とともに心に響く。
FRYING DUTCHMAN humanERRORを聞いたときのような衝撃だ。
選挙結果がどうであろうと、これは歴史に残るだろう。
28分ごろから。

http://www.ustream.tv/recorded/27708252

その後の首相官邸での演説もいい。
山本太郎は今人間として最も輝いている。
1時間33分ごろから。

http://www.ustream.tv/recorded/27708481

宇都宮健児候補の演説がその後に続く。
彼が都知事になれば革命である。


|| 22:07 | comments (x) | trackback (x) | ||
ガイガー・カウンターによる実測結果
by 日詰明男
昨年(2011年)中旬、ガイガーカウンターが二万円を切ったので、思い切って購入してみた。
静岡県山間部の我が家の床面はいつ計っても0.18μSv/h前後。
雨樋の出口地表で0.2μSv/hを超える。
現在もあまり変化はない。

出張の折に各地の空間線量(ベータ線とガンマ線)を調べてみた。

使用機器:SOEKS(ロシア製)

2011年11月の京都は静岡とほぼ変わらず。

福島に出張された人に貸したところ、室内で0.7μSv/hとのこと。
やはり高い。

2012年1月の東京。地上で0.13μSv/h前後。
静岡より若干低い。
地上10階で0.08μSv/h。

2012年1月の船橋は地上で0.2μSv/hを越えた。

3月に韓国経由で米国に行く機会があり、国内と比較するため、ガイガーカウンターを持参して測ってみることにした。

飛行中の機内は低くて1.5μSv/h、高いときは3.0μSv/hを超えた。
地上だったら大騒ぎの危険域だ。
パイロットやスチュワーデスは命がけだとは聞いていたがここまでとは。
宇宙飛行士の野口さんや古川さんは大丈夫だろうか?
でもこの場合放射性物質を吸ったり食べたりする「内部被爆」の心配はない。
とにかく、高々10キロの大気層がいかに宇宙線の脅威から生命を守っているかを実感した。
それに比べて飛行機機体の頼りなさよ。

ソウル空港は驚いたことに静岡とあまり変わらなかった。

米国アトランタ郊外のホテルでは、屋外の芝生で0.13μSv/h前後。
東京なみである。
ホテル室内は、静岡県のわが家より高く0.2μSv/h前後。
基礎のコンクリートに悪い建材でも使っているのだろうかと最初は考えた。
だがアトランタ郊外の自然林の地表を測ったところ、軒並み0.2μSv/hを超えていた。
アトランタ・ダウンタウンの高層ビル上層階へ上がれば線量は0.08μSvぐらいに下がるので、機械の異常ではない。

ソウルとアトランタという、今回偶然訪れた場所がたまたま共に花崗岩大地だったという可能性はあるが、もしそうでないとしたら、これは深刻な事態である。

原子炉が爆発した直後は、風向きやら雨やらで、汚染地域は斑目状になるが、セシウム137の粒子は0.01ミクロンと小さく、タバコの煙のように大気のブラウン運動に身を任せて浮遊し拡散してゆく。
エントロピーの法則からすると長期的には地球全域に一様均一に拡散する傾向にある。
大半が現在も空気中を浮遊しているだろうが、最終的には雨や埃の粒となって地表に定着するだろう。

目いっぱい少なく見積もって、福島原発から放出されたセシウム137の総量が5キログラムだったとしよう。
思考実験として、5キログラムのセシウム137の原子を地球球面全域に一様に分布させてみよう。
5キログラムのセシウム137の原子の総数は5000/137*アボガドロ数であるから、約2.2*10^25個である。
地球の表面積は5.1*10^18平方センチである。
2.2*10^25/(5.1*10^18)=4,300,000
したがって地表わずか一センチ四方の空間に四百三十万個のセシウム137原子が平均的に存在しうる計算になる。
そのうちの二百十五万個の原子が向こう30年以内に確実に核崩壊する。
これが危険域なのかどうかわからないが、本来自然界にはなかったリスクであることは言うまでもない。
しかも原子炉が露出した福島原発では、現在只今もホットでフレッシュなセシウム137を供給し続けているのだから始末が悪い。
チリも積もればなんとやらである。


|| 23:30 | comments (x) | trackback (x) | ||
xxが思ってる汚染範囲
by 日詰明男
昨年(2011年)11月、某芸術大学大学院で行った特別講義の冒頭で、こんな話をした。


「・・が思ってる汚染範囲」と題する作者不詳のこの画像が9月ごろからインターネット上でかなり出回っていた。
自分の都合のいいように考える人間の心理を見事に突いた図である。
この図を見た人はそれぞれの立場で図星だと思うのではないか。
詐欺師はこうした心理につけこむものである。
あるときは優越感を与え、あるときは恐怖心を煽り、意のままに民衆を手なずける、いわゆるコンプレックス商法(行政)というやつだ。

下段右から二番目の図が示すように、外国人の心理からすると、日本列島は真っ赤に染まっている。


欧米の人たちは日常的にこのような世界地図を使っている。
日本が「極東」と呼ばれる所以である。


ところでこれは私のコンピューターのデスクトップ画面である。
右上にあるゴミ箱にどんどこどんどこ不要なファイルを放り込んでいるのだが、それでもこの散らかりようである。
家やコンピューターは持ち主の脳の直接の反映だといわれる。そのとおりだと思う。
誰しも脳の片隅にゴミ箱が必ず置かれ、それは「忘却」と呼ばれる。

おそらく、欧米の人々の心理として、日本はもう汚染されたし、海に囲まれているし、極東だし、ゴミ箱には恰好の場所だなあと思い始めているに違いない。
多くの国が、使用済み核燃料の処分に頭を悩ませており、彼らは「渡りに船」と感ずるだろう。
その心理を日本人は非難できない。
なぜなら日本政府は、福島原発事件以前、モンゴルの無垢な原野に、大金を払ってのうのうと使用済み核燃料を埋めようと画策していたのだから。


これを見て誰もが日の丸と答えるだろう。
「がんばれニッポン」と言いたいわけではない。
これは日の丸ではなく「宇宙人が思っている汚染範囲」、すなわち「地球」にほかならない。

たった一箇所の原発が爆発しただけで、地球全域が汚染される。
メルカトル図法にとらわれていてはこうした現実は実感できない。
地上にもはや逃げ場はない。
フラーは地球を宇宙船に喩えたが、原発事故はスペースシャトルの中でスカンクが放屁をしたようなものだろう。

|| 00:07 | comments (x) | trackback (x) | ||
澤田哲生プロデュース JGP54
by 日詰明男
東京工業大学澤田哲生氏と小出裕章氏の対談を聞いた。

3月7日 小出裕章氏と原発推進派・澤田哲生氏の討論
http://hiroakikoide.wordpress.com/2012/03/08/tanemaki-2012mar7/

澤田氏がまだ学者生命を維持していたことに驚く。
一年たっても改心する気配もない。
まったく懲りていないどころか、さらに頑なに原発を推進しようとしている。
澤田氏は酷すぎる。
保身で内心おろおろしているが、体裁だけは威厳を保とうという話しぶりである。
小出氏の前ではちいちゃくなっているくせに、素人を相手にした途端に威圧的態度に豹変する。

福島原発が爆発した直後も、色眼鏡をかけ、お洒落をし、フジサンケイグループに登場し、安全だ安全だといい続け、アイドル系とも絡むコメンテーターを演じていた自称学者である。
澤田氏は秋元康さながらにJGP54(ジャパン・ゲンパツ54基)でもプロデュースしているつもりなのだろう。

|| 13:42 | comments (x) | trackback (x) | ||
サクリファイス
by 日詰明男
A. T. 様

福島原発が引き裂いたものの大きさははかりしれません。
そしてこれはまだ序の口でしょう。
これから私たちは、細部まで確率論的に生きることを強いられるでしょう。
安全か安全でないかの境界線は地上のどこにもありません。

最近日本列島が磔刑にされたキリストに見えて仕方ありません。

かつては世界の文化人類学者の羨望の的であった日本の風土が供犠に付され「永遠に失われた稀有な民族」と年代記に記される公算大です。
それほど大きな事件だと思うのです。
小出裕章氏も無意識にそれを望んでいるのではないかと私は精神分析しています。

キリスト以降も殺戮は増えこそすれ減らなかったように、日本の犠牲の甲斐なく、原発は今後作られ続けるかもしれません。
だとしたらこの宇宙的にも稀な青い惑星が犠牲に供されるということです。
いやこの場合「犬死」と言うべきでしょう。
残されるものが無いわけですから。

うまく行けばこの愚かさに歯止めがかかるかもしれない。

試されますね。

そもそも失われるものの偉大さを認識していなければ、人は真摯になりようもありません。
真の偉大さを指し示すのも芸術の使命でしょう。

|| 02:01 | comments (x) | trackback (x) | ||
アイルランドに学ぼう
by 日詰明男
大きく民族性は3種類に分類できるようだ。

一つ目は、痛い目にあってようやく間違いに気付き、軌道修正する民族。
犬でさえ、一度ひどい目にあった道は断じて通ろうとはしないものである。
人もまた期せずして災難に会った時、「高い授業料だった」と自らを励まし、失敗から学ぼうとする。
しかし今回の原発事故は「授業料」で済む規模ではない。

二つ目は、痛い目にあっても何も気付かない民族。
広島、長崎、第五福竜丸、東海村、そして極めつけの福島まで経験してもなお、AKB48などに浮かれている民族はこれに属する。

三つ目は、痛い目にあう前に思考力によって危険を予測し、軌道修正できる民族。
本来これが霊長類たる所以のはずだが。
しかし原発に限れば、これを体現している国家は少数派である。
たとえばアイルランドがそうである。

原発無用!日本はアイルランドを見習え
村田光平2005/11/10
http://janjan.voicejapan.org/world/0511/0511094933/1.php

私の知る限りでは、コスタリカやニュージーランドもアプリオリな反原発国家である。
豊かな自然に囲まれ、日々恩恵を得ていることを多くの国民が実感しながら生活を送っているからだろう。
極端に言えば、これは南方熊楠のようなパーソナリティで構成された国家のようなものだ。

日本の悲劇を他山の石として反原発に舵を切ったドイツ、イタリアも第三のカテゴリーに含めて良いだろう。
すべての核保有国はこれを見習ってほしい。

アイルランドには二度ほど滞在したことがある。
若かりしころ、ダブリンのグラフトン通りで大道芸をして宿代を稼いだこともあった。
アイルランドの印象を一言で言えば「唯足るを知る」国民性である。
人々は音楽とビール、おしゃべりを何よりも愛する。
ゆえにそのささやかな幸福を破壊しかねないものを憎む。
無印きわまるシンプルライフを大昔から頑固に続けている。

明るいうちからビールを飲み、当時珍しい東洋人が歩いていれば呼びかけてビールをすすめる。
パブでは常にライブの音楽が流れ、歌い踊る。
演奏者はプロと言うわけではないが、普通のプロよりうまい。
なのにギャラはビールで満足。
お金では計れない楽しさを皆が共有している。

最近私はダブリン発のインターネットラジオをずっと聴きながらすごしている。
http://my.liveireland.com/
まったく飽きない。
ハズレがない。
背景にある音楽経験の裾野の広さ、成熟度ゆえだろう。
残るべくして残る頑固なまでの伝統。
しかし新しい楽器や他国の民族音楽、リズムも巧妙に取り入れ、ゆっくりと日々進化している。
頑固で瀟洒で素朴で磨きのかかったアイルランドの町並みそのものだ。
どんな片田舎の町並みも一見似通っているが、どこも体臭にも似た、多様で個性的な彩りに満ちている。
津軽の音楽などもアイリッシュで起こっているような先カンブリア爆発があって不思議は無かったかと思う。

このラジオで知ったアーティスト。
昨年Janet Devlinという16才のアイルランド田舎娘が歌手として劇的にブレークしたようだ。
いい声である。
パーソナリティの話では、「Very very Irish voice!」とのこと。
的確な音程のはずし方も興味深い。
トム・ジョーンズの「Your Song」でイギリスの人々の心を打ったYouTube映像が以下で見られる。
http://www.youtube.com/watch?v=GaDFdtk0A2Y&feature=related


|| 04:23 | comments (x) | trackback (x) | ||
ベン・シャーン再び
by 日詰明男
ほぼ半年振りに東京に行った。

予想に反して東京は異常な賑わいだった。
福島原発の事故などどこ吹く風である。

深刻な現実など考えたくもないという、ほとんどやけくその心理なのかもしれない。
これも生物学的な本能なのであろうか。
みな秋元康プロデュースのAKB48に夢中。
彼はそれを芸術だと嘯く。
これが「芸術だ」と言うなら、ローマ帝国末期、あるいはナチスの開発した手法、すなわち現実から目をそらせ、大衆を洗脳する広告代理店的手法は第一級の芸術ということになろう。

そんな東京を早々に脱し、私は葉山の神奈川県立美術館に立ち寄り、ベン・シャーン展を観た。
彼のまとまった展覧会を観るのは30年ぶりである。
7歳から11年間書道に親しんだ私としては、篆書に通ずる彼の描く線がたまらなく好きだ。
有名な作品群に加え、紙切れに描かれたスケッチや写真を沢山見ることができた。
氏は1960年に来日し、当時近代化へとひた走っていたとはいえ、彼の目に映る日本の町並みはさぞや驚きに満ちたものだったのだろう。
滞在中、ベン・シャーンは写真を撮りまくっていたようだ。

彼の全作品には墓碑銘に似た死へのまなざしを強烈に感じる。
周知のとおり、彼は多くの冤罪事件、第五福竜丸事件など、風化させてはいけない社会問題を作品に封じ込め、永遠にプロテストすべく刻印した。
他の媒体ではどうしても限界がある。
新聞記事に何が書かれようとも、瞬間的にどんな噂が広まろうとも、民衆をして忘却せしめる術を心得ている行政当局にとっては「屁でもない」からである。
いわゆる「柔らかいファシズム」に抗うために、芸術の力は必須であることをベン・シャーンの作品は実証している。

福島もそのように昇華させなければならない。
永遠の負の記念碑として。

原発事故以後、ほぼ一年の経過をみるに、福島、否、日本全土は世界の犠牲に供せられる運命に向かっているように思えてならない。
何千年もかけて培い、無数の人々の手で磨きをかけられ、世界中の羨望の的となっていたほどの風土が、たかだか数十年の愚行によっていともあっさり葬り去られる。
世界を救うために、この国は世界一美しい風景と共に滅びるべきなのかもしれない。

この展覧会は最終的に福島へ巡回するそうだ。

展覧会の後、のんきに江ノ電に乗って静岡へ向かった。
江ノ電に乗るのは初体験。
噂にたがわぬかわいらしい路線である。
藤沢からJRに乗り換え、急ぐ旅でもないので鈍行を使い、いつのまにかウトウト。
目覚めれば目の前に巨大な富士山が車窓一杯に見えた。
西日を浴び、冠雪が紫に染まっていた。
「今日の富士山はすすり泣いているねえ。」(←岡本太郎のパクリ)
赤富士ならぬ紫富士。
黒澤の夢を思い出さずにはいられない。
そういえば先日、それとそっくりの夢を見たっけ。
富士の溶岩が降り注ぐ大地で地震が何度も何度も起きた。

富士駅に停車すると、おりしもちょうど5時なのか、町営スピーカーから小学校で何度も歌わされたあの童謡「富士の山」のメロディが聞こえた。
紫富士を見ながらその旋律を耳でたどっているうちに、はたと、後半の旋律は富士山のシルエットをそのまま写したものであることに気付いた。
これは一般に知られていることなのだろうか?

家に帰ってから、さっそくその作曲者は何者かと調べると、なんと作者不詳なのだそうだ。
詠み人知らず、おそるべし。



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