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究極の選択「お金で買えるもの 買えないもの」
by 日詰明男
NHK総合テレビ。マイケル・サンデル 究極の選択「お金で買えるもの 買えないもの」を見た。

人間の浅はかな社会システム、その不完全性をつく問いばかりだった。
ぜひNHKオンデマンドで何度も見直してほしい。
日本、アメリカ、中国の順で愚かさがデータに出ていたと思う。
日本人として恥ずかしい。
しかしその日本、アメリカのパネリストの中で、数名の少数意見が光っていた。
こんな東大の若者がいることは希望である。

マイケル・サンデル自身はおそらくその解決策を知っている。
しかしそれを決して明かさない。
なぜなら、それを私たち自身に考えさせるためだ。

シュタイナーの社会学。
ベーシック・インカムの哲学の中にその回答は見出せるはずだ。

|| 22:23 | comments (x) | trackback (x) | ||
ベーシック・インカムを玄米本位制で考える
by 日詰明男
以下は2009年の正月に書いた覚書である。

====
ベーシック・インカムとは、すべての人に生存権を保障する収入を無条件に分配するというアイデアである。
「なぜ働かざる者を養わねばいけないのか」という批判があるが、その批判者は自分もまた同額のベーシック・インカムを支給されている点を見落としている。
つまりベーシック・インカムは完全に平等なのである。

生存権だけで満足する人はむしろ少ない。
人々は生存権が確保された上で初めて能動的に生産活動ができる。
働いて得た利益はすべてボーナスである。
そうした余剰生産に対して税が発生し、ベーシック・インカムの財源とする。

友人が全世界の軍事予算を世界総人口で割った値を計算した。
一人当たり年額15,000円になったそうである。
日本でこの額では生存権も覚束ないが、この額で生活している国はざらに有る。
軍備を廃止すれば、核家族で少なくとも年額6万円ほど還付される計算である。

死に金は軍事費ばかりではない。
生活保護、年金、失業保険などの審査や手続きが一切不要になる。
役人の大半は不要になるから相当な人件費が浮く。
解雇された役人はベーシック・インカムで生存が保障されるから、立派なセーフティネットである。

為替の不平等から、年額6万円で生活を余儀なくされている国は沢山ある。

成人男子の1日の必須カロリーは2,000kcal。
玄米はほぼ完全食品である。
100グラムの米は356kcalで日本の相場で30円。
よって365*2,000/356*30=61,516円。
年収61,516円で日本人は日本国で少なくとも生きてゆける。

しかし為替の不公平は著しく、変動するものであるし、貨幣で計ると話がややこしくなる。
生活必需品しか買えない地域通貨とか、時限失効の地域通貨などの併用も提案されているが、手続きは煩雑となり、不正の温床にもなりかねない。

ならば玄米本位制で換算してみよう。
米ならばいずれ腐るから、天然の時限地域通貨である。

結論からいえば、高緯度に位置する国家の行政は、年間一人当たり少なくとも205キロの米を配給できる社会システム、これが生存権を保障する国家の最低線として、ひとつの指標となるだろう。
文化的とは到底いえないが生存権のひとつの表現である。これさえもできない国家は国家の体をなしていないといっていいだろう。

ちなみに205キロの米は0.042ha(125坪)で生産できる。
世界第5位の人口密度を誇る日本の面積は37,783,500haだから総人口130,000,000人で割ると0.29ha(871坪)。
単純計算で日本国民は各自、自分自身を7人養える国土を持っている。
要するに5,460,000haあれば全国民が生きてゆける
これは九州と四国をあわせた面積より狭い。
原生林が多い日本の国土で、これを広いと考えるか、狭いと考えるかは微妙なところであろう。

少なくとも、見渡す限りの広大な農地を持っている農家が「これでは食えない」と言うのはどこか社会の仕組みが狂っている。
現代の農家は搾取されまくっているという計算になる。

|| 13:36 | comments (x) | trackback (x) | ||
ベーシック・インカム
by 日詰明男
ベーシック・インカムについてはSTUDIO VOICE誌の特集「政治を考える」(2007)で知り、興味を持った。
近来稀にみる有望なアイデアだと思った。
以後、私は人が集まれば事あるごとにこれを話題に上げるよう努めている。

現職議員でこれを本気で実現しようとしているのは田中康夫だけのようだ。
2chでも話題になっている。
田中康夫「生活保護は働く意欲を削ぐ全く不可解な制度。だからベーシックインカムを速やかに導入しろ」
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/news/1265975163/

1980年代の西ドイツにおける「緑の党」の躍進のように、この国日本で面白いことが起こるかもしれない

その2chのスレッドに以下の投稿をしようとしたら、規制のとばっちりを受けて出来ず。
めんどくさいからブログに載せてしまおう。

=====

ベーシック・インカムの仕組みは子どもでも理解できる。
もしこれが実現すれば、永久機関だろうが、素数を生む関数だろうが、角の三等分だろうが、相対性理論を超える理論だろうが、自由に夢想しても誰も文句は言わない。
誰も読まない小説や漫画を描くもよし。
死ぬまで義務教育ならぬ任意教育。
社会全体が国立大学のようなもの。
人は誰でも生まれた時点で無条件にこの大学に入学するわけだ。
かくて引きこもりはそのまま立派な社会人に成る。
勝ち組サラリーマンは逆に何をしていいか途方に暮れるの図。
今まで一部のアカデミズムや特権市場が独占していた科学や芸術は万人に解放され、飛躍的な進歩を遂げるだろう。
アマチュア集団の底力は、たとえば天文学における彼らの貢献をみれば明白だろう。
これもひとつのベーシック・インカム効果。

物欲、食欲などを追求したい人は都会にとどまって存分に働けば良い。
1時間でも働けば、その時給はボーナスなのだから。
1日働けば欲しいフィギュアやゲームが買えるよ。
私は、ベーシック・インカムが実現するいなや、「平成の天邪鬼」ともいうべき「ひきこもり」たちこそ猛然と働き出すのではと予想している。
自殺者や鬱病も激減するに違いない。
問題の根は心理学というより政治レベルの話だと思う。

ベーシック・インカムが既に実現している地域や、自然界の生物は結構ある。
私はコスタリカやバリ島にナチュラルなベーシック・インカムを見た。

本来、自然界はベーシック・インカムであたりまえなのだろう。
ヒゲクジラはほとんど呼吸の感覚でプランクトンを摂取し、あそこまで巨大に成長しているという。
彼らは毎日、おしゃべりや教育、遊びに興じている。
いわば彼らはアコースティック・インターネットに耽る「地球」家の引きこもりである。

ところが人間社会は、まるで空気中の酸素が圧倒的に欠乏していると公共教育されてきたかのようだ。
子どもたちは、酸素のヴァーチャル争奪戦に必死になるしかない。
友達がその空気を吸う前に、自分が吸わねば窒息するぞと、学校で大人は子どもたちに教え込む。
これは教育という名の究極のコンプレックス商法ではないだろうか。
このマインド・コントロールにかかっている人ほど、ベーシック・インカムに抵抗を感じるようだ。

「なんで働かない人のために働く者が損をしなければならないのか」という反論をする人が必ずいるが、その人は自分も同額のベーシック・インカムを得られることを見落としている。

|| 23:15 | comments (x) | trackback (x) | ||
カテゴリー3:宇宙的ナンセンス
by 日詰明男
前回、カテゴリー3の労働について書いて思い出したことがある。

まだ学校に上がる前のこと、山国で生まれた私にとって、年に一度海水浴で目にする「海の水平線」は不可解きわまりないものだった。
海の果てを一度でいいから確かめてみたいとずっと思っていた。
そして家族旅行で海へ行った折、私たちは遊覧船に乗り、ついにそのチャンスが訪れたのである。

船窓から水平線をずっと見つめていると、希望的観測も手伝って、水平線がだんだん近づいてくるように感じたものだ。
やがて岸が前方に現れ、港に着いた。
船を下りたとき、「なんだ、海の果ては意外に近いな」と思った。
後日、保育園の友達に「僕は海の果てに行ってきた」と自慢したのは言うまでもない。

山登りを趣味とする伯母が家に遊びにきたときのこと、伯母は富士山に登った話をしてくれた。
頂上は空気が薄いということ、そして大勢の人が登るから大変な混雑であることを聞いたとき、僕は「それは大変だ。空気がなくなってしまうではないか」と言った。
伯母は「自然はそんなに小さくないから大丈夫」と言って笑った。

こうした子供じみた発想は今となっては笑い話である。
ところが大人になっても笑うに笑えない似たような話がある。

先日、太平洋に面した海岸を訪れた時のことである。
その海岸では、おびただしい数の鉄製型で、数えきれないほどの巨大コンクリート製ブロックを大量コピー生産し、片っ端から海に沈めていた。
聞けば太平洋の荒波からの侵食を食い止めるために、毎年こうした護岸工事をしているのだという。
見回すと岸辺に人家があるわけでもなく、別段さしせまった状況ではない。
国土地理院発行の地図を書き換えたくないという国家の執念だろうか?
”自然”万事塞翁が馬。
たとえここの海岸が侵食されても、別の海岸には砂丘が築かれるであろう。
自然は大抵帳尻が合うようになっている。
大海の摂理に人間が立ち向かうなど無謀行為も甚だしい。

この公共土木工事で、膨大な資材、膨大な重機、膨大な燃料、膨大な人手が海の藻屑へと消えてゆく。
先ほどの富士山の話を借りると、頂上に空気を供給すべく窒素と酸素を適度に配合した空気ボンベをせっせと運び上げ、頂上で空にしては麓に持ち帰るという行政サービスをしているようなものである。

地元の人の話では、最高純度のコンクリート・ブロックを維持するため、抜き取り検査を怠らない念の入れようだとのこと。
こういう工事に限って、手抜きはないのである。

このような無意味な労働によって、関係者は経済的に潤っているのだろう。
こうしたことに税金が使われていることに国民は怒ってしかるべきである。
だが批判の矛先を当事者に向ければ済むほど浅い問題ではない。
被告もまた、税金にたかることを余儀なくされている不憫な人々である。
仕事の内容は精神的な拷問以外の何物でもないのだから。
以前、ソビエト連邦では政治犯に対して、毎日朝から晩まで、お椀に入れた砂を棒でつつく作業を強制したという。
どんなに強い精神の持ち主も、無意味な行為を延々とさせられると、いずれ発狂してしまうのだそうだ。
身体を傷つけず、十分な食料も与えながら、ジュネーブ条約に違反することなく、確実にじわじわと精神だけを壊す方法である。

どんなに経済的な見返りがあったとしても、「無意味な行為」に対して人の心は強くできてはいない。
志を失った製造業、土建業の人々の心は想像以上に病んでいるはずである。

つまるところ、この護岸工事で誰も幸福になっていない。
生態系ももちろん壊している。
宇宙的ナンセンスとはこのことである。

この種の労働が昨今あまりにも多いのではないだろうか。


|| 09:42 | comments (x) | trackback (x) | ||
一億総マフィア
by 日詰明男
以前コスタリカ報告11で以下のように書いた。

>たとえば投機行為は他人の損失を前提とした利益追求であり、
>これは正真正銘の悪意である。
>社会に寄生する「マフィア」の存在と実質的に同等である。
>にもかかわらず、現代経済は投機行為を前提とし、国家が
>それを奨励しているほどである。
>一億総マフィアになってどうするのか?

「投機のどこが悪い」と言う人も多いだろう。

まず「投機」と「投資」は区別すべきである。
そして現代経済のはほとんど投機的思惑で動いている。
近年のガソリンや穀物の高騰を見ればわかるだろう。
投機家の賭博行為によって広く浅くすべての人々が被害を受けている。

「投資」は東印度会社設立当時には意味のあるアイデアだったが、現在は「投機」に蝕まれて見る影もない。

なぜ投機=悪意なのか。その一例を書こう。

数年前、ちょうどブッシュ大統領がイラク爆撃をする直前のころの事である。
大手証券会社のベテラン社員が、株を手放そうとしている顧客にこう言ったのを私はこの耳で聞いた。

「戦争がはじまりそうですから、株価が上がるかもしれませんよ。」

平然とそういった台詞が出たのである。
これが悪意でなくてなんであろう?
おそらくその証券会社社員は微塵も自分の言動に疑問を持たず、今も実績を上げることに邁進していることだろう。
その人にとって世界は単なるゲームなのだ。

聖戦とされる戦争が、大国の権力者や軍需関連企業の利益のために引き起こされていることは周知の事実である。
しかしいまやどこにでもいる一般庶民までが自己の利益のために、他国の生命や財産が破壊されることを期待している。
みなその行動の意味を考ず、短期的視野と利己主義に基づいて投機ギャンブルをゲーム感覚で興じている。
爆撃の遠隔操作ボタンを押すペンタゴンと、投機に走るトレーダーは殆ど同じ行為である。

そして恐ろしいことに「投機をしていないから自分は悪に加担していない」と言い切れないのが現代資本主義社会の仕組みである。
なぜなら、私たちの支払った税金や預金、保険金のかなりの部分が、そのような悪意に資するべく運用されているからである。
「一億総マフィアになってどうするのか」と書いたことは決して誇張ではないのである。

ではどうすればいいか?
ましなアイデアはいくらでも考えられる。
変えようとしないのは人類の怠慢以外の何物でもない。


|| 20:53 | comments (x) | trackback (x) | ||
郵政民営化の前日にあえて「貨幣郵便」を構想してみる
by 日詰明男
郵政民営化がいよいよ明日から実施される。

2年ほど前から、郵便局の片隅で米国ヘッジファンド、ゴールドマン・サックス社が投資信託を販売しているのに気づかれている人も多いだろう。
あまり客が利用している気配もなかったが。
これはあくまでもゴールドマン・サックス社の布石にすぎない。
郵貯簡保資金につばをつけたというところであろう。
本丸は郵貯簡保資金の自由な運用(投機ギャンブル)代行にあるのだろう。

一昨年の小泉首相による郵政民営化キャンペーン総選挙の際、テレビの討論番組等で、誰かが「郵政民営化は外資の圧力だ」と言おうものなら、田原総一郎も古舘伊知郎も、司会者の立場でありながらまるで申し合わせたように「それは陰謀論だ」とヒステリックに一蹴し発言をさえぎったものだ。
刺客候補フィーバーも手伝って、自民党は選挙に大勝し、郵政民営化法案はいとも簡単に通ってしまった。

あれから2年、陰謀論扱いされたシナリオは着実に実現している。

郵便サービスも目に見えて悪化している。
各種手数料は高くなったし、私が利用している郵便局でも時間外窓口が閉鎖された。
案の定、過疎地の郵便局は続々と閉鎖しているという。
ますます地方での生活は不便になるばかりである。
かくして人口は都市に集中し、地方の過疎化に拍車がかかる。

従来の郵貯簡保資金は、確かに政治家の思惑のまま乱発する国債の受け皿となり、無用な公共工事などに間接的に流れていた。
しかしそれでも地上げや原野商法(土地ころがし)、株投機(株ころがし)、空売り、サラ金に融資する民間銀行や証券会社よりはまだましだったといえる。
これから郵便局もただの民間銀行になるのだから、国民の預金は露骨に、そして合法的に投機的運用に蕩尽されるだろう。しかもそれは米国ヘッジファンドの主導権によってである。
これからしばらく、日本祭りに興じるのであろう。

箪笥預金が最も安全であるという社会になってしまった。
日本銀行券を見放し、貨幣経済から離れる人も増えるであろう。

将来かならずこの愚かな選択が見直される時がくるだろう。
その郵政民営化の失敗から、あらたなシステムが考えられてしかるべきだろう。

原点に帰って構想してみる。
送金手数料のみで運営される国営の金庫・送金サービスがあっていい。
預金は一切運用せず、送金手数料を除いた元本は完全に保証される。
国債にさえ手を出さないから、政府に悪用されることもない。

いわば「貨幣郵便」。

郵便は一律手数料(切手)だけで発信者から預かった私信を宛先に届けるサービスであった。
預かった手紙の内容を第三者に勝手に利用させたりはしない。 これと同じことだ。
同様に貨幣を預かり、中途で運用をせず、機械的に送金、入金するだけの業務に限定するのである。
これは民営化とはまったく別の方向性で、しかも以前の郵便貯金のシステムをより簡素化したものである。
世の中わけのわからん運用をしている金融機関ばかりだが、上記のような金融機関があったら私はそちらを利用したい。不労所得(利息)などはなから期待しないし、預金を勝手に運用されたくない利用者は多いはずである。

そのときまでに郵便局のインフラが残っていることを祈る。
すでに郵便局の閉鎖は始まっているし、旧国鉄のようにローカル線がずたずたになる可能性のほうが大であるが。

お金を増やしたい人は従来どおり投機家や投資家になればいい。その受け皿は既に十分にある。銀行や証券会社だけでなく競馬やパチンコも選択肢の一つである。
これは実際に新しいモノを作ろうとする製造業やアーティストとは無縁な世界である。

問題なのは、安心して預けられる金庫、安心して送金できる行政サービスという選択肢が日本では失われてしまったのである。

新自由主義とやらの価値観からすると、過疎の村の郵便局など採算がとれないのだから閉鎖して当然だと言うのだろう。
しかし、私たちの身体組織をみれば明らかなように、足の小指の先の先まで、新鮮な血液は生きている限り送り続けられるのである。
どんなに過疎化した地方でも、利用者が一人でもいるかぎり郵便局を残すのも一つの価値観である。従来の郵便システムはそれに近い理想にもとづいて張り巡らされていた。
それは日本だけではなく、郵便システムの発明における根本思想だった。
そしてそういう社会インフラを守っている国を、私は尊敬する。

たとえマンモス大学構内にたった一人の車椅子の学生だけだったとしても、段差を無くしたり、エレベーターを増設することに反対する理由があるだろうか?


|| 17:53 | comments (x) | trackback (x) | ||
選挙制度に思う
by 日詰明男
投票日直前だというのに、マスコミはあいかわらずお気楽な番組ばかり垂れ流している。
何だろう。このシラケきった静寂は。。。
これでは投票率は下がりこそすれ、上がることは無いだろう。

もちろんこれは公職選挙法の報道規制によるものである。

国民が政治にもっとも関心を持ち、活発な議論を尽くすべきときに、それを封殺する選挙制度とはいったい何だろう?
「国民は政治に対して余計な関心を持たないように」という、与党の心配りであろう。「何も考えず、働け働け」と。

かくして聞こえるのは、莫大な選挙財源を持つ政党の宣伝カーによる名前の連呼だけである。

選挙制度は、与党によって自分たちの都合のよいように作り変えられてきた。
これはもはや「インサイダー選挙」と呼ぶべきである。

たとえば選挙管理委員が与党の構成員で占められていたとしたら、誰もがそれはフェアではないと言うだろう。
ベネチアでは、不正が絶対起こらないように、票を数えるのは子供にやらせたという。念には念の入れようである。

選挙制度も同じことである。自分たちが選ばれる方法を、代議士自身が多数決で決めたらフェアではないのは子供でも分かる。
懲役刑の囚人に新刑法を採決させるようなものだ。

まあ既成事実に愚痴を言っても仕方が無い。
でも、ゆくゆくは少しでもフェアな形に変わって欲しいものだ。

ところで、以前cesaro氏が書いた選挙制度構想を、この機会に引用しておこう。

======
2005年 09月 15日
こんな選挙制度どう?

一票の格差や、死票が問題にされて久しい。
どんなに定数是正をしても、国会内で議員の投票権は一票だから、格差も何もあったものではない。1万票で当選しても、10万票で当選しても、国会では同じ1票である。

では、もっとましな選挙制度はないだろうか?

もちろん直接民主制が理想的なのは言うまでもないが、時期尚早である。
陪審員制度のように、一般人から無作為に選び、一定任期だけ議員を務めるという方法も、現行の選挙制度よりはマシだろうが、これもまだ時間がかかりそうだ。

そこでより現実的な案として、以前から考えていた方法をここに記そう。

選挙区は小選挙区でも中選挙区でも全国区でもなんでもいい。
政党ももはや不要である。(党議拘束なんてかけられて独裁国家へ向かうだけだからね。)
投票はあくまでも候補者個人に対して行われる。

政党的なものは立法機関としてならあってもいい。
でも法案の是非は、あくまでも議員個人に委ねる。

まず前提として、候補者が今までどの法案に賛成、反対、棄権してきたか、データが完全に公開されていなければならない。
これらは、インターネットや、新聞、各市町村図書館資料として、だれでも検索できるようにしておかなければならない。

(これぐらいのことは本来、実現していて当然なのだが、なぜかできていない)

選挙民はそのデータや人柄を吟味して、一候補者に投票する。


投票時には必ず写真入りの身分証明を提示する。
(これはあたりまえのことのはずだが、日本ではノーチェックである。どうして改善しないのだろう?)

選挙監理委員の透明化。
(これも現在、運営が不透明だと言わざるを得ない。)

さて重要な改良点はこれから。

選挙後、その候補者は、自分が獲得した票と同じ票数を国会で行使できる。

こうすれば、死票は少なくなる。
一票の重みの格差もどんな選挙区制度であってもほとんどなくなるだろう。
したがって民意が反映されやすい。

極端に考えれば、一票しか投票されなかった人でも国会議員になれる。
つまり国民全員、自分自身に一票いれたものがいわゆる直接民主制だともいえる。

現実に国会に全国民を収容できない以上、また、インターネット投票もまだまだ信頼できない以上、候補者に供託金納付を義務づけ、落選者を出さねばならぬ事も、必要悪として当面やむをえない。
それでも死票は最小限に押さえられるだろう。

この選挙制度の方がシンプルで民意を反映しやすいと思うのだが、どうだろうか?

人気者に票が集中して危険だ、という批判も出るだろう。
衆愚が衆愚として反映されたとしても、それが民意の大多数ならば仕方がないことだ。
しかし確実に少数意見は国会で反映されるようになるはずだ。
現在の選挙制度では、少数意見は完全に発言権を奪われている。

====
(引用終わり)

落選者が獲得した票は、落選者自身の判断で、当選者に振り分け、票を預託することにすれば、さらに死票は少なくなる。


|| 14:53 | comments (x) | trackback (x) | ||
年金
by 日詰明男
消えた年金記録が話題になっている。
政府は選挙前に必死で取り繕おうとしている。

数年前はグリーンピアという箱物施設に年金をつぎ込んでいたことが問題になった。
政府はあわてて全てのグリーンピアを廃止し、民間等に払い下げ、約1,900億円の損失が確定した。
いったい何人分の老後が泡と消えたのだろうか?

もっと深刻なのは、年金資金が、株や為替の買い支えに投入されていることである。
こちらの流用の方がよほど巨額だと思うのだが、マスコミではなぜかあまり取り上げられない。
本当に積立金は残っているのだろうか。
最近、これ見よがしに「年金積立金の株式運用でちょっと増えた」ことが報道されたことからして、依然、懲りずに年金流用でギャンブル遊びに興じているようだ。

(参考サイト)
公的年金積立金 なぜ株投機に?
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik/2002-08-03/15_1201faq.html

「年金」で「自己責任」を負わされる国民
宇佐美 保http://members.jcom.home.ne.jp/u333/ithink040505nenkin%20jikosekinin%20kokumin.htm

もう泥の舟であることは誰の目にも明らかなのに、政治家は滑稽にも沈み行く舟にしがみつき、掛け声だけは威勢よく「おもかじいっぱーい」と叫びながら沈んでいくのだ。

ちょうど1989年、崩壊寸前の東ドイツの映像を思い出す。
東西統一がにわかに実現性を帯びたころ、ホーネッカーに代わってクレンツが書記長に成り上がった。
念願の書記長の座。
彼はこの地位を得るためにどんなことでもしてきただろう。
民衆を監視し恐怖政治で迫害し、政敵を貶め、片や上司には媚びへつらって官僚主義の階段を上りつめた男である
しかし、ちょっと遅すぎた。
希望に沸く群衆を前に、精一杯の(ひきつった)作り笑いを見せながら、「改革」を約束し、必死で延命を図った。
上司には媚びることに成功してきた彼も、目覚めた群集には通用しなかった。

クレンツ政権は1か月ともたなかったのである。


|| 09:21 | comments (x) | trackback (x) | ||
STUDIO VOICE 8月号
by 日詰明男
書店に行くと、平積みにされた雑誌の中に、聖セバスチャンとして描かれた三島由紀夫の像(横尾忠則作「理想の実現」)が目に入った。
STUDIO VOICEの表紙である。
なんと今号のテーマは「政治を考える」である。
緊急特集といった風情だ。

http://www.infaspub.co.jp/studio-voice/newest.html


STUDIO VOICEがこのような特集に打って出るということは、よほどのことである。
時代のさしせまった空気を、もっとも敏感に感知する人たち。
こういうところから口火が切られるのだろう。

企画は柄甚原権三とある。
巻頭言には

「・・・
さまざまな局面で、あなたは行く手を阻まれる。
そこで発見するのは、敵とそっくりな姿をしたあなた自身だ。
・・・ 」

とあり、問題の急所を見事に言い当てている。
末尾は

「動かそう。」

の一語で結ばれ、心に確かに響いた。

記事内容も先鋭で、他の自称リベラルな言論雑誌よりはるかに琴線に触れるところが多い。
寄稿者は田中康夫、宮台真司、大澤真幸、外山恒一、竹熊健太郎、雨宮処凛などなど。

いままで沈黙するほかなかった、あるいはその反動で強がりを言うしかない「虐げられた若者たち」が、いよいよ動かなければどうにもならないと行動を起こし始めている。

鉄道人身事故が毎日のように起こり、それがあたりまえになっている恐ろしい日常。
この国は今ベトナム戦争の真只中にある。


|| 12:13 | comments (x) | trackback (x) | ||
言うまでもないが自衛隊は憲法違反である
by 日詰明男
国民投票法が通り、現政権は憲法改悪に向けて着々と準備を進めている。
彼らは自衛隊を晴れて正規軍にしようとしている。
恐怖は肥大し、また殺し合いが始まる。

来る国民投票は「憲法を守るか守らないか」を争点にすべきではない。
憲法9条は「守る」だけでは不十分である。
「憲法に9条が書かれてある」ことだけで安心していた護憲派は反省すべきである。
今まで憲法は一度たりとも守られたことはない。無視され続けただけである。
憲法違反がことごとく見過ごされ、無意味な防衛費がいつのまにか世界第三位にも膨らんでしまった。
「世界に誇れる憲法」とはお世辞にもいえない。
このままでは「どうせ今の憲法でも自衛隊は事実上の軍隊でしょ。ならお墨付きをあたえてあげればいいじゃん」ということになる。

使ってなんぼの憲法である。
コスタリカのように使ってこなかったツケが今、このような形で回ってきたともいえよう。

そこで、こう提案しよう。
国民投票で「憲法を変えない」という決定が下された暁には、即刻自衛隊は憲法違反として解散するのが筋である。
つまり「自衛隊を解散するかしないか」に焦点を絞って国民投票に臨むべきである。

これならば国民投票の甲斐がある。
国民投票は護憲派にとって千載一遇のチャンスに化ける。
劣勢は攻勢に転じうる。
60年めにして初めて国民が9条を能動的に行使できるかもしれない。
この国民投票は平和憲法を使う最後のチャンスになるかもしれない。

憲法の番人であるはずの司法は60年間機能しなかったのだから、国民が直接裁くしかない。



護憲派の諸君。

国民が9条をはじめて行使するチャンスを、安倍政権が用意してくれた。
憲法違反を重ね続け、世界第三位にも膨らんだ無意味な防衛費。
自衛隊を解散して浮いた資金をどう有効に使うか具体的で現実的な夢を語ろう!
コスタリカに倣って、「兵士の数だけ教師を!」でもいい。
「兵器の数だけ図書館を」もいいだろう。

防衛費は税金をドブに捨てるようなものだということを論理的に証明しよう。
年間防衛費は4兆8563億円、夕張市の借金の77倍である。
防衛費が浮けば、借金で苦しむ他の地方自治体もひっくるめて、ゼロから再出発させられるのである。
その方がはるかにましだ。
これもまた日本人は「自己責任」と言って助けようとしないのだろうか?

かつて政府は銀行に莫大な公的資金を投入し、あげくの果てに外資系に払い下げたではないか。
現政権は外国の銀行を助け、地方自治体を見捨てたのである。

もし自衛隊が解散したとして、今までアメリカから言われるままに気前良く買い続けた兵器をどうするか?
いいアイデアがある。
いたるところに野ざらしにして風化させればよい。
自分たちがいかに愚かで、無駄なことにお金を費やしてきたか永遠に忘れないようにするために。

公正な国民投票が行われるよう、選挙管理委員も国民がしっかり監視する必要があるだろう。
最近の選挙のやり方を見る限りでは、この国の選挙は国連に監視してもらう必要があるかもしれない。


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