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アイルランドに学ぼう
by 日詰明男
大きく民族性は3種類に分類できるようだ。

一つ目は、痛い目にあってようやく間違いに気付き、軌道修正する民族。
犬でさえ、一度ひどい目にあった道は断じて通ろうとはしないものである。
人もまた期せずして災難に会った時、「高い授業料だった」と自らを励まし、失敗から学ぼうとする。
しかし今回の原発事故は「授業料」で済む規模ではない。

二つ目は、痛い目にあっても何も気付かない民族。
広島、長崎、第五福竜丸、東海村、そして極めつけの福島まで経験してもなお、AKB48などに浮かれている民族はこれに属する。

三つ目は、痛い目にあう前に思考力によって危険を予測し、軌道修正できる民族。
本来これが霊長類たる所以のはずだが。
しかし原発に限れば、これを体現している国家は少数派である。
たとえばアイルランドがそうである。

原発無用!日本はアイルランドを見習え
村田光平2005/11/10
http://janjan.voicejapan.org/world/0511/0511094933/1.php

私の知る限りでは、コスタリカやニュージーランドもアプリオリな反原発国家である。
豊かな自然に囲まれ、日々恩恵を得ていることを多くの国民が実感しながら生活を送っているからだろう。
極端に言えば、これは南方熊楠のようなパーソナリティで構成された国家のようなものだ。

日本の悲劇を他山の石として反原発に舵を切ったドイツ、イタリアも第三のカテゴリーに含めて良いだろう。
すべての核保有国はこれを見習ってほしい。

アイルランドには二度ほど滞在したことがある。
若かりしころ、ダブリンのグラフトン通りで大道芸をして宿代を稼いだこともあった。
アイルランドの印象を一言で言えば「唯足るを知る」国民性である。
人々は音楽とビール、おしゃべりを何よりも愛する。
ゆえにそのささやかな幸福を破壊しかねないものを憎む。
無印きわまるシンプルライフを大昔から頑固に続けている。

明るいうちからビールを飲み、当時珍しい東洋人が歩いていれば呼びかけてビールをすすめる。
パブでは常にライブの音楽が流れ、歌い踊る。
演奏者はプロと言うわけではないが、普通のプロよりうまい。
なのにギャラはビールで満足。
お金では計れない楽しさを皆が共有している。

最近私はダブリン発のインターネットラジオをずっと聴きながらすごしている。
http://my.liveireland.com/
まったく飽きない。
ハズレがない。
背景にある音楽経験の裾野の広さ、成熟度ゆえだろう。
残るべくして残る頑固なまでの伝統。
しかし新しい楽器や他国の民族音楽、リズムも巧妙に取り入れ、ゆっくりと日々進化している。
頑固で瀟洒で素朴で磨きのかかったアイルランドの町並みそのものだ。
どんな片田舎の町並みも一見似通っているが、どこも体臭にも似た、多様で個性的な彩りに満ちている。
津軽の音楽などもアイリッシュで起こっているような先カンブリア爆発があって不思議は無かったかと思う。

このラジオで知ったアーティスト。
昨年Janet Devlinという16才のアイルランド田舎娘が歌手として劇的にブレークしたようだ。
いい声である。
パーソナリティの話では、「Very very Irish voice!」とのこと。
的確な音程のはずし方も興味深い。
トム・ジョーンズの「Your Song」でイギリスの人々の心を打ったYouTube映像が以下で見られる。
http://www.youtube.com/watch?v=GaDFdtk0A2Y&feature=related


|| 04:23 | comments (x) | trackback (x) | ||
ベン・シャーン再び
by 日詰明男
ほぼ半年振りに東京に行った。

予想に反して東京は異常な賑わいだった。
福島原発の事故などどこ吹く風である。

深刻な現実など考えたくもないという、ほとんどやけくその心理なのかもしれない。
これも生物学的な本能なのであろうか。
みな秋元康プロデュースのAKB48に夢中。
彼はそれを芸術だと嘯く。
これが「芸術だ」と言うなら、ローマ帝国末期、あるいはナチスの開発した手法、すなわち現実から目をそらせ、大衆を洗脳する広告代理店的手法は第一級の芸術ということになろう。

そんな東京を早々に脱し、私は葉山の神奈川県立美術館に立ち寄り、ベン・シャーン展を観た。
彼のまとまった展覧会を観るのは30年ぶりである。
7歳から11年間書道に親しんだ私としては、篆書に通ずる彼の描く線がたまらなく好きだ。
有名な作品群に加え、紙切れに描かれたスケッチや写真を沢山見ることができた。
氏は1960年に来日し、当時近代化へとひた走っていたとはいえ、彼の目に映る日本の町並みはさぞや驚きに満ちたものだったのだろう。
滞在中、ベン・シャーンは写真を撮りまくっていたようだ。

彼の全作品には墓碑銘に似た死へのまなざしを強烈に感じる。
周知のとおり、彼は多くの冤罪事件、第五福竜丸事件など、風化させてはいけない社会問題を作品に封じ込め、永遠にプロテストすべく刻印した。
他の媒体ではどうしても限界がある。
新聞記事に何が書かれようとも、瞬間的にどんな噂が広まろうとも、民衆をして忘却せしめる術を心得ている行政当局にとっては「屁でもない」からである。
いわゆる「柔らかいファシズム」に抗うために、芸術の力は必須であることをベン・シャーンの作品は実証している。

福島もそのように昇華させなければならない。
永遠の負の記念碑として。

原発事故以後、ほぼ一年の経過をみるに、福島、否、日本全土は世界の犠牲に供せられる運命に向かっているように思えてならない。
何千年もかけて培い、無数の人々の手で磨きをかけられ、世界中の羨望の的となっていたほどの風土が、たかだか数十年の愚行によっていともあっさり葬り去られる。
世界を救うために、この国は世界一美しい風景と共に滅びるべきなのかもしれない。

この展覧会は最終的に福島へ巡回するそうだ。

展覧会の後、のんきに江ノ電に乗って静岡へ向かった。
江ノ電に乗るのは初体験。
噂にたがわぬかわいらしい路線である。
藤沢からJRに乗り換え、急ぐ旅でもないので鈍行を使い、いつのまにかウトウト。
目覚めれば目の前に巨大な富士山が車窓一杯に見えた。
西日を浴び、冠雪が紫に染まっていた。
「今日の富士山はすすり泣いているねえ。」(←岡本太郎のパクリ)
赤富士ならぬ紫富士。
黒澤の夢を思い出さずにはいられない。
そういえば先日、それとそっくりの夢を見たっけ。
富士の溶岩が降り注ぐ大地で地震が何度も何度も起きた。

富士駅に停車すると、おりしもちょうど5時なのか、町営スピーカーから小学校で何度も歌わされたあの童謡「富士の山」のメロディが聞こえた。
紫富士を見ながらその旋律を耳でたどっているうちに、はたと、後半の旋律は富士山のシルエットをそのまま写したものであることに気付いた。
これは一般に知られていることなのだろうか?

家に帰ってから、さっそくその作曲者は何者かと調べると、なんと作者不詳なのだそうだ。
詠み人知らず、おそるべし。



|| 15:16 | comments (x) | trackback (x) | ||
各市町村にベクミルを
by 日詰明男
行政による全頭検査や全野菜、全魚介類検査など不可能だし、行政の恣意的な検査など信用できない。
それよりも各市町村に一基、ベクミルのような食物放射線測定サービスがあれば、国民全員が無作為の抜き取り調査を任意でできるわけであり、それだけで企業はいっさい偽装できなくなるだろう。
そして企業は商品に含まれる合成甘味料や防腐剤等の成分表示同様、放射線量を正直に明示して販売するようになるだろう。
これが風評被害ならぬ、実被害を最小限に食い止める方法である。
東電は責任上、各地方自治体に無料で検査機を配布すべきなのではないか。
原発を保有するすべての電力会社が出資してもいい。
こんなことはとっくの昔にできたはずのことである。

|| 08:21 | comments (x) | trackback (x) | ||
FRYING DUTCHMAN humanERROR
by 日詰明男
京都のバンドFRYING DUTCHMANの新曲「humanERROR」を聴いた。
全国の小中学生全員に聴いてほしい。

http://www.youtube.com/watch?v=ENBV0oUjvs0&feature=player_embedded

いつの時代も、人を最終的に動かすのは詩人と音楽だ。

|| 11:54 | comments (x) | trackback (x) | ||
怪物に竹槍で立ち向かう細野環境大臣
by 日詰明男
国家の命運をかけた大作戦


ついに政府が福島周辺の包括的除染に動き出した。
手にくわを持ち、がりがり地表を引っ掻くという瞠目すべき作戦だ。

さすがに目の付け所がちがう。
小学生でもまさかこれで除染できるなどとは思いもしないだろう。

新聞紙とおが屑で高濃度汚染水の海洋流出を止めようとしたときもかなり驚いたが、今回はそれ以上のワンダホー・アイデアである。

|| 12:19 | comments (x) | trackback (x) | ||
勝ち組教
by 日詰明男
以下の文章は2011年4月30日の段階で書いたものである。
ある理由で、投稿することを取りやめた。
だが今回、ふたたび投稿しようという気になった。
その理由については末尾で明かしてある。

========================
人間は他の哺乳類に比べて、決定的に未熟児で生まれる。
なぜかといえば、ヒトは不自然なまでに大きく発達した脳を持ってしまったため、難産になるのは必至。
母体と胎児双方の安全を担保するため、胎内での成熟をほどほどのところであきらめるしかなかったと言われる。

母の胎内で十分な情報を受け取らぬままヒトは世に生れ落ちるため、他の動物に比べて本能は希薄である。その引き換えに白紙から考えることのできるとてつもない自由度を手にしたわけだ。
ほとんどの動物は火を見ると本能的に逃げようとするが、人間は火を恐れなくなった。
良かれ悪しかれ、これが人類という生物の特長である。

骨格標本を観察しても、人間のバランスはどこか変である。
私は一デザイナーとして、人間の骨格デザインを評価するとしたらABCのうち「C」とするだろう。
それに比べてゴリラの骨格の方がはるかに完成度が高いと思う。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Huxley_-_Mans_Place_in_Nature.jpg

乗り物に喩えるなら、ゴリラがポルシェだとしたら、さしずめホモ・サピエンスは改造しまくった暴走族のバイクだろうか。
やたらエンジン音がうるさいわりに遅く、故障も頻発し、安定性が低く、転倒しやすい。
無駄にきらびやかな意匠は暴走族の仲間内でしか意味を持たない。

ヒトのゲノム配列も冗長で、寿命も長いので、人生はゆりかごから墓場まで病気との闘いそのものである。
プログラムが複雑になればなるほどバグは発生しやすく、遺伝情報は脆弱であることを意味する。

それとは対照的に、生きた化石であるゴキブリのゲノムは、さながら3.5インチ・フロッピー・ディスクに余裕で収まるほどコンパクトなプログラムであり、無駄がない。
「何も引けない、何も足せない」ほどの完成度である。
一匹のゴキブリは切手裏面の糊のカロリーで一週間生きられるそうだ。
だからゴキブリは核戦争後にも生き残るだろうといわれる。

誇張でもなんでもなく、よりによって放射線に対して地球上で最もデリケートなはずの人間が、何が悲しゅうて天敵というべき道具を自ら発明してしまったのだろう。
天敵を禁忌するどころか、「明るいみらい」とむしろ賛美する多くの人間とは何だろう。
これは宇宙的ナンセンスである。
地上において核物質は「必要悪」という次元ではなく、「100パーセント悪魔的なもの」と断言していいだろう。

政府、行政官僚、電力会社、大手広告代理店、マスコミ、御用学者、軍人たちに、宇宙的な意味で原発や核兵器がいかに愚かで危険であるかをどんなに語っても、まったく心に響かないようだ。
彼らはどこか現実離れした世界で生きている。
生命の危機に瀕した住民の悲痛な叫びを前にしても、どこ吹く風。
他人事である。
あるいはお金で解決する諸々の問題のひとつだとしか考えていない。
自分たちは不死身だとでも思っているのだろうか。
すべての人に差別なく、容赦なく襲っている生物学的危機だというのに。

それよりも自分の肩書きや体裁を最優先し、ステロタイプで空虚な言葉を吐き続け、定年まで窓際で事なかれですごし、住宅ローンをそれまでに完済し、あわよくば天下りし、悠々自適の年金生活を夢見ている。
これが小泉政権のころから取りざたされた「勝ち組」の正体である。
こんな徹底したカルト宗教もないだろう。
このマインド・コントロールは絶望的に解けない。

いまやオウム心理教の地下鉄サリン事件が線香花火に見える。
元原発技術者菊地洋一氏は「もし浜岡原発が制御不能になると福島原発が線香花火に見えるだろう」と言っている。
http://www.youtube.com/watch?v=gNWVljrvl3o

福島原子力発電所の事故で、ここまで国家があっけなく潰れてしまうのかという現実を、現在只今、目の当たりにしているわけだが、これさえも線香花火だとは。。。
浜岡の脅威は推して知るべしであろう。
おそらく六ヶ所村やもんじゅの潜在的脅威はそれをさらに上回るだろう。

==========

ここまで書いて、裏を取るべく、地上生物のなかで最大のゲノムを持つのはヒトかどうかを確かめたところ、意外にそうではないことが判明した。
最大(最多)のゲノムを持つのはユリ科のキヌガサソウだとのこと。
動物でも、なんとネズミの方がゲノムは大きい。
これが上記記事を投稿しなかった理由である。

ところが最近こんなニュースを目にして、再び投稿する気になった。
ニュースソースはもうネット上から消えているが、たとえば以下のブログなどにコピーが残っている。

さいたま市の巨大ゆり
http://ex-skf-jp.blogspot.com/2011/09/blog-post.html


不気味である。
ネズミにも変化が起こっているかどうか注意する必要があるだろう。

|| 09:35 | comments (x) | trackback (x) | ||
山口泉さんのブログ
by 日詰明男
友人の小説家山口泉さんからのメールを転載します。
細野大臣の発言は無理心中の心理そのものです。
自覚してのことなのか、政府は「日本列島ゴミ箱化」へ向かおうとしているようです。
以下引用。
=============
山口泉です。
 複数の皆さんに同報します。

 細野豪志・環境大臣兼原発担当大臣が、4日、
 「福島の痛みを日本全体で分かち合うことが国としての配慮だ」と称して、
 放射線汚染物質の最終処分場を「福島県以外に設ける」との見解を表明しました。
 
 この絶望的妄言に対する批判を、
 さきほど、私のブログ『精神の戒厳令下に』に
 〔東京電力・福島第1原発事故〕第128信
 《「福島の痛みを分かち合う」とは、何の謂(い)いか?》
 として、アップロードしました。

 ブログにアクセスしていただき、
 また、このメイルの内容を、他の方がたへもお知らせいただければ幸いです。



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 山 口 泉
 야마구치 이즈미
  Yamaguchi Izumi
 ……………………………………………………………
izm@jca.apc.org
 ……………………………………………………………
Website『魂の連邦共和国へむけて』
http://www.jca.apc.org/~izm/
 ……………………………………………………………
  Blog『精神の戒厳令下に』
  http://auroro.exblog.jp/

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|| 15:56 | comments (x) | trackback (x) | ||
この不自然な円高
by 日詰明男
震災以来、円高が続いている。

この要因として私はひとつしか思い当たらない。

謎の国策企業キュリオン社とアレバ社による非循環非浄化作業がそれである。
病状がこじれればこじれるほど、長引けば長引くほどもうかるヤブ医者助長の医療システムとまったく同じ図式である。
アレバ社は汚染水1トンあたり2億円をふっかけたとか。
http://www.asyura2.com/11/genpatu11/msg/501.html

日本が保有する外国債はあっという間にチャラにされるだろう。
これを火事場泥棒という。

ではどうやって当局は円高を維持しているのか。
ドルやユーロをがんがん刷れば良い。

私は数年前、渡米に際し、成田空港の両替所で一万円分をドルに替えた。
そのとき驚いたのは、印刷されたばかりの誰の手にも触れていないピン札が渡されたことである。
まるで近所に造幣局があるかのようだった。

外国旅行中に円を買うことはまずないし、扱っていない両替所がほとんどだろうが、仮にあったとして、もしそこでピン札の千円を渡されならたら「ここはどこ?」と狐につままれた気分になることだろう。

私の経験で、ドルの場合これは日常である。
「金は天下の回り物」とはいうが、今や「金は天下の回し物」なのだなと納得したものだ。

もし首相が「もう浄化は無理だ。キュリオン社もアレバ社も出て行ってくれ。」と発言したらどうなるか。
ここにまた巨大なインサイダー取引の余地が生まれる。
要注目。

|| 10:49 | comments (x) | trackback (x) | ||
森永卓郎を弁護するならば
by 日詰明男
「使用済み核燃料は地下3000mまで掘って捨てるしかない」と森永卓郎がTBSラジオで言っていました。
対象はすべての原発です。
それを聞いた出演者の阿川佐和子と大竹まことは「本当に森永さんそれでいいと思っているのですか!」と人格否定までしかねない勢いで怒りを噴出していました。
森永は意外な反感に直面し、たじろぎながらも小さな声で「でもそれしかない」とつぶやくのですが、二人の怒りは収まりません。
いつもはしゃべり足りずに時間切れとなるのですが、このときは森永からそそくさと話を切り上げ退場していました。

阿川と大竹の反応も良くわかります。
彼らは誰かに原発建設前の時代に戻してほしいと漠然と願っているのでしょう。
現状復帰の道がかならずあると信じている。
たしかに地上のほとんどの問題は、なにかしら現状復帰に近い状態まで回復することができる問題ばかりです。
ホメオスタシスも地上のいたるところで見られます。
「怪我の功名」になることさえあります。
不治の病とされる人でさえ、一直線に死へとは至らず、一進一退、何度も輝きを取り戻すものですし、医者に見離されても寛解する人さえいます。
絶望した人が「人間が作った問題は人間が解決できる」と励まされて自殺を思いとどまった、という話もありました。
生態系も含め、地上で営まれる日常は奇跡に満ちています。
私たちはそれを「あたりまえだ」とさえ言ってのけます。
このような経験則から「どんな問題も解決できないものはない」と人が信じるのも無理はありません。

しかしこと原子力に関してはまったくこれが通用しない。
情け容赦なく進行するエントロピー増大の冷徹な物理的不可逆過程そのものです。
涼しい顔でやすやすと奇跡を遂げてきたさすがの生態系も、核暴走には手も足も出ません。
すべての生命現象はこの恒久的で巨大な崩壊過程に寄生した、かりそめの散逸構造なのだと思います。

阿川や大竹のようにほとんど人は無意識に奇跡を望んでいるのだと思います。
森永は感情抜きで事実を語ったつもりなのでしょうが、聞き手が感情を噴出したのでたじろいだのでしょう。
僕の意見では、掘るのは大変。盛った方がまだまし。
遅かれ早かれ、子孫たちは先祖によって作られてしまった世界中の原発に、反転したアリジゴクのような「夢の山(核分裂火山)」を累々と築くことになると思います。
危険な場所としてわかりやすくもあります。
風化するまで少なくとも数千年。

とにかく、核開発は地上の生態系の寿命をかなり縮めてしまいました。
この不可逆の問題に比べれば、以前に取りざたされていた「地球温暖化」など、ガイアのホメオスタシスが期待できるかわいい問題でした。

|| 23:27 | comments (x) | trackback (x) | ||
星は多かれ少なかれ原子炉である
by 日詰明男
太陽は言うまでもなく原子炉である。
一般には水素とヘリウムの核融合炉と考えられているが、中心部ではもっと重い元素の核融合および核分裂が不断に営まれているのだろう。
銀河の中心同様、太陽のコア中心にはブラックホールが存在すると考える科学者もいる。
ブラックホールとは言わないまでも、実無限の密度を持った特異点であることは間違いない。
中心はそのあまりに強い重力ゆえ、光子は数千万年も外部に出られないという。

同様に、地球もまたひとつの原子炉である。
地殻層、マントル層のさらに深部には核反応の残り粕である鉄の層が析出し、そのまた深部では太陽同様の核融合と核分裂の「火の玉宇宙」が再現されているにちがいない。
地球の場合、表面が冷え、岩石と海と大気に分離し、大気はおおむね透明で「晴れ上がっている」点が太陽と大きく異なる。
木星や土星はまだ晴れ上がっていない星である。もちろん中心部は太陽さながらの原子炉状態だろう。
星の構造はまるで宇宙の系統発生を繰り返しているかのようだ。

したがって地球のコアではウランやプルトニウム、さらに人間がまだ知らないような重い元素まで、生成しては崩壊を繰り返しているのだろう。
この熱源はもう40億年以上もぽかぽか煮えたぎり続けている。
それに比べ、小出裕章氏によると、人工の原子炉が廃炉にされたとしても完全に冷めるまでは僅か100万年しかかからないそうである。地球という原子炉の巨大さがわかる。
地震や火山の噴火、冷めない温泉などで、私たちはその実態を垣間見ることができる。

地球の中心の中心はとてつもない密度となり、ブラックホールのように振舞っていると考える科学者もいる。
こうしてわれわれは皆平等に重力加速度の恩恵を地表で受けているわけだ。

地殻に微量に存在する重い元素、たとえばウランは、かつての地球全体が太陽のような火の玉状態であったことを示している。
本来ならばウランのような重い元素はすみやかにコアへと沈んでしかるべきものだが、どの社会でも落ちこぼれが存在するように、はぐれガラスとして地表に近くに若干取り残された。

人間はその微量のウランをわざわざかき集め、濃縮し、地表に星のコアを作ってしまったのである。
地殻の蓋をあけてコアを覗き込んでしまったようなものだ。
オゾンホールよりもっと大きな穴を空に開けてしまったようなものだ。
このトポロジカルな穴が原爆であり、原子力発電の炉心である。
表と裏の区別、内部と外部の区別がなくなってしまった。
穴の開いた風船がどうなるのかは言うまでも無い。

つまり私たちは地下にも天上にも十分すぎるほどの原子炉を持ちながら、宇宙的な意味で蛇足を演じたわけだ。
地熱や太陽光をそのまま素直に利用すれば済むものを。
というか、地上の生物は今までずっとそうしてきたのである。

直径10センチの野球ボールが地球だとすると、地表から旅客機が飛ぶ成層圏までの10kmほどの空間はたかだか0.08ミリメートルに相当する。
紙の厚さにも満たない。
こうしてみると成層圏まで海に満たされていた時代もあったかもしれない。
いずれにせよそんな極薄の膜の内部で、すべての生態系は営々と営まれてきた。
地下の殺人的な放射線地獄は、地殻+マントルによる数千キロに及ぶ厚さの圧力容器に遮蔽され、
天上の殺人的な放射線地獄からは、オゾン層や強力な磁場による圧力容器によって守られている。
地表や海洋は、いわばかろうじて保たれた奇跡的な薄膜だったと言える。
星のスケールでは誤差として無視できるほどの薄膜の空間に、なんと多様な生態系が開花していたことであろうか。(過去形で書かねばならないのが本当に悔しい。)

地球という原子炉でさえコアの放射線を遮蔽するのに数千キロの地層を要した。
それを高々十数センチの鋼鉄で封印し、制御しようとしたのが人間である。

以上のように、原子力問題の元凶は、そもそも地殻の残留ウランをかき集め、濃縮した時点でアウトだったのである。

しかし、現実にこんなにもたくさんの原子炉(穴)を地表の薄膜内に作ってしまった。
これを実際的にどうしたらいいのか。
東電に100万年間管理してもらうわけにもいかない。

濃縮ウランを人間の手でせっせと希釈し、元の地層に分散させるか。(現状復帰法)
勝手にメルトダウンを起こしてもらって、本来帰るべき地下数千キロのコアに勝手に落ち込んでもらうか。(バルンガ法)

そのどちらかしかないとは思うが、そんなにうまく行くはずもないとは思う。

六ヶ所村が火を噴けば地球最大の穴になる。



|| 15:45 | comments (x) | trackback (x) | ||


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