2007-02-27 Tue [ 作品 ]
by 日詰明男
過去に作ったコンピューター音楽のサンプルや、打楽器アンサンブルによる演奏の中から主なものを下記サイトにまとめた。http://f31.aaa.livedoor.jp/~starcage/music/index_j
特に近作の「Golden Bell Tower」に注目してほしい。
これは、リズム、音色、音階において、無理数の自己相似構造を徹底的に反映させたものである。
いわば今まで発表した一連の音楽理論(著書参照)を、ひとつの作品として総合したものでもある。
ここで紹介するのは特に「黄金比の音色による、黄金比の音階の、黄金比のポリ・リズム音楽」である。
音のパターンはどんどん変化し、さまざまな響きや旋律が聞こえてくる。旋律としてのまとまりがつかめそうでつかめず、おもしろい掛け合い(カノン)の効果も生まれている。独特の音階と音色とがあいまって、悩ましい旋律に聞こえるのではないだろうか。この音楽は約69年間で循環する。
サンフランシスコ在住の友人からさっそく以下のような批評をもらった。
Sounds like music from the future!
Music from the planet of the temple where the gods are keeping the mathematics of the universe humming.
Alien-beings are sending us messages.
Atoms are communicating with each other.
Robert Hickling
人類にとって未体験の音楽。さながら「音楽の第一種接近遭遇」というところか。
<strong>壁のシミの音楽</strong>
エリック・サティは晩年、自らの音楽を「家具の音楽」と呼んだ。
「Golden Bell Tower」は、さしずめ「壁のシミの音楽」あるいは「壁のヒビの音楽」と言えるかもしれない。
芸術の始まりはどこにあるかと学生の頃考えたことがある。
おそらく人類が横穴式住居に住んでいたころ、寝転んでぼんやり岩壁を眺めていたときに、ふと岩壁の表面にあるシミやヒビが、何か(たぶん動物)の形に見えたのではないか。
そう見えたのは仲間の中でその人だけだったかもしれない。いったん図が見えてしまえば、それにしか見えなくなるものである。
そしてその人は次に、その模様を指でなぞり、「描き起した」のではないか。
ここまでくれば、ラスコーの壁画まで洗練されるのは時間の問題である。
「Golden Bell Tower」は、そうした壁のシミやヒビのように作用するかもしれない。
人それぞれに別々の音を拾い、口ずさむというような。
私自身、この音楽を数日間連続再生し、聴き続けた。
眠るときに子守唄代わりに聴いて寝て、朝、昨日とは全然異なる旋律を辿っている自分に夢の中で驚き、目が覚めた。
聞き手の自由がこの音楽にはある。
これは音楽に限ったことでなく、たとえばそれが建築や庭園ならば、そこで何を読み取るか、そこで何をして遊ぶか、可能な企画は百人百様であるべきだろう。そのような自由度をできるだけ広げるような作品をこれからも生んでいきたいと思う。
ご感想を!
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2007-02-06 Tue [ 未分類 ]
by 日詰明男
一次情報図書館「Google Hubble」Google Earthはすばらしい作品である。
このインパクトに比べれば、巷にあふれるどんなメディア・アートも色あせて見えてしまうほどだ。
インタラクティヴな操作性も申し分なく、莫大なデータがエレガントに包括されている。重くなるはずのデータを重く感じさせない工夫が随所に見られる。
汎用性もあり、実用としてのポテンシャルは計り知れない。
私たちはこれを使って、無限の情報を引き出すことができるだろう。
国連のような公的機関がこうしたサービスを提供したというならともかく、Google社という一プライベート・カンパニーが無償提供していることに驚かざるをえない。近年まれに見る気の利いた社会還元だと思う。
勝手な希望を言わせてもらえれば、次はぜひ「Google Hubble」を企画してほしい。
宇宙の全域をくまなくハッブル宇宙望遠鏡によるウルトラ・ディープ・フィールドの解像度で公開して欲しいのである。
Google Earthが完全無欠の地球儀ならば、Google Hubbleは究極の天球儀、あるいはプラネタリウムというところか。
これはヒトゲノム公開以上の重要なデータベースになるはずだ。
周知のように、ハッブル宇宙望遠鏡は1990年に打ち上げられ、多少のトラブルはあったものの、修理後は驚くべき天体映像を続々と撮り続けた。
中でも、1997年に発表された「ディープ・フィールド」と呼ばれる写真は圧巻だった。
http://commons.wikimedia.org/wiki/Image:HubbleDeepField.800px.jpg
それは、従来最も星の密度が希薄とされていた北天の視野に向けて10日間に及ぶ観測をした映像だった。その観測精度は、月から地球上の蛍の光を観測することに匹敵するという。
視野角にしてわずか2.7分に満たない領域に、ハッブル宇宙望遠鏡の眼は無数にひしめく銀河を捕えた。この1枚の写真に驚愕した人は多いのではないだろうか。
定説となっているビッグバン理論からすれば、宇宙の誕生後それほど経っていない時期(およそ120億年前)にして既に無数の成熟した銀河が存在するわけで、どうして未だに宇宙論の革命的修正がなされないのか、私には不思議でならない。
この解像度の映像を、球面に隙間なく埋め尽くせば、私たちは実質的にハッブル宇宙望遠鏡の目を手に入れたも同然である。
恒星の世界はさほど変化しないから、更新を急ぐ必要もない。
計算すると、この解像度で全天球面を埋め尽くすには二千万枚あまりを必要とする。
仮にさきほどの写真が10センチ四方だとすると、直径130mのプラネタリウム球面が必要である。建設は今日の技術からして不可能ではないとはいえ、ヴァーチャル空間で実現したほうが賢明だろう。
それよりも、現実問題としてデータ収集が最も困難である。
視野角2.7分でさえ10日間も要したのだから、全天を埋め尽くす画像情報を得るまでには、単純計算で観測に2億日(54万年)必要ということになってしまう。
しかし、ハッブル級の宇宙望遠鏡を何本も打ち上げ、フル稼働させればかなり短縮できるはずだ。
これは荒唐無稽な話ではない。なぜなら、およそ30億文字からなるヒトゲノム解析も当初は天文学的時間を要すると思われていたが、その予想を裏切って、計画開始からわずか13年で塩基配列完全決定の宣言が発表された例を私たちは知っているからである。
ハッブル宇宙望遠鏡を飛ばすのに1本3000億円(10年間の維持費込)の経費がかかるという。私は全然高いとは思わない。もし税金に余裕があったとしたらぜひこういうことに使ってもらいたいものだ。
比較のために、コンクリート消費を目的として、全国各地に作られている無駄ダムは、建設に500億円かかるのが普通である。したがってダム6基ぐらいの資金があればハッブル宇宙望遠鏡が1基打ち上げられ、10年間運営できるわけだ。ちなみに今話題の箱物施設「私のしごと館」は総工費581億円である。
日本にはこのような死蔵物が無数にあるのだから、ハッブル宇宙望遠鏡を何台飛ばせたかわかりはしない。
猛禽類が上空を飛んでいる森林は健康な証しだといわれる。なぜなら、猛禽類は食物連鎖の頂点にあり、生態系の裾野の広さを示すものだからである。
アメリカは無意味な戦争にもっぱら国費をつぎ込んでいるので、ハッブル宇宙望遠鏡級の計画にはもはや積極的ではない。イラク戦争に96兆円費やしたというから、320基のハッブル宇宙望遠鏡を運営できた計算だ。
アメリカ上空に飛んでいた高貴な鷲は絶滅し、不毛な藪(ブッシュ)がはびこるばかりである。
ならば、他の余力ある国や企業が、積極的に宇宙望遠鏡打ち上げに出資してはどうか?NASAはアメリカから独立して多国籍研究所に昇格してもいいだろう。
国や企業が何本の宇宙望遠鏡のスポンサーとなっているか、それが経営状態の粋な指標となるだろう。
人は「それが何の役に立つのか?」と問うかもしれない。
Google Hubbleは人類が手にする最高の公共一次情報図書館になるだろう。
天文学者という、いままでごく少数の特権階級しか手にしえなかった第1級の天文データに誰もが自由に、無料でアクセスできるのである。
天文学はそうした無数のアマチュアの頭脳によって飛躍的進歩を遂げるだろう。
宇宙観のみならず、哲学が劇的に変わる。
これ以上の恩恵があるだろうか。
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