2011-07-23 Sat [ 未分類 ]
by 日詰明男
西暦2011年の七夕は太陽暦で8月6日にあたります。ここ数年、京都のギタリスト夢美路丈旁 take-bow yumiji 氏と毎年ささやかな七夕祭を開いています。
日詰は竹のオブジェを作り、集った友人、通りがかりの人々と竹の音具で月の入りまで「たたけたけ」を延々と奏でます。
そして丈旁が猿楽的な即興パフォーマンスを演ずるという趣向。
時
西暦2011年8月6日(陰暦7月7日)午後8時ごろから月の入りまで
所
京都出町柳デルタ
持ち物
音具、酒、つまみなどお持ち寄りください。
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口上
月と七夕
現代人は月の満ち欠けにまったく関心をはらわなくなってしまいました。
何が悲しゅうて、わざわざ梅雨の真っ只中に七夕祭りをやらなければならないのでしょう?
天体現象と同期しない祭にどれだけの力があるでしょう。
現代人が現実感を失ったと言われて久しいですが、まずこのあたりから取り戻さなければ。
月の状態は人間の精神活動のみならず、身体、ひいてはすべての生物、無生物に大きな影響を与えていることは疑いようのない事実です。
明治以降、日本人は欧米に追いつけとばかり陰暦をあっさり捨て、利便性からビジネス時計としての太陽暦に一本化してしまいました。
暦はもはや無味乾燥な「数字」あるいは「目盛り」でしかなくなってしまいました。
天体現象を無視し、ヴァーチャルな日常を生きる日本人が、原発を平然と受け入れてきたのも無理からぬことだったと言えましょう。
本来の七夕は、陰暦の正月から数えて7つ目の新月から7番めの月。
夏も盛りを過ぎ、「秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる」の頃合に行われる祭です。
当然梅雨空であるわけもなく、満天の星の下で先祖は宇宙に思い思いの夢想を広げていました。
天の川を渡るように見える上弦の月を舟に見立て、彦星(鷲座アルタイル)と織姫(琴座ベガ)が年に一回出会う、ロマンティックな物語。
そして七夕から満月というクライマックスまでの10日間がいわゆるアジアにおけるお盆の大セレモニーでした。
太陽暦はあくまでもビジネス時計として割り切って使えばいいでしょう。
しかし「祭」で月は主役です。
月齢に従った祭を取り戻すだけでも、人の心はより豊かになるでしょう。
「平日は仕事があって祭に出られない」という人は物事の優先順位というものをもう一度考え直してみてください。
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2011-07-13 Wed [ 原子力発電 ]
by 日詰明男
震災以来、円高が続いている。この要因として私はひとつしか思い当たらない。
謎の国策企業キュリオン社とアレバ社による非循環非浄化作業がそれである。
病状がこじれればこじれるほど、長引けば長引くほどもうかるヤブ医者助長の医療システムとまったく同じ図式である。
アレバ社は汚染水1トンあたり2億円をふっかけたとか。
http://www.asyura2.com/11/genpatu11/msg/501.html
日本が保有する外国債はあっという間にチャラにされるだろう。
これを火事場泥棒という。
ではどうやって当局は円高を維持しているのか。
ドルやユーロをがんがん刷れば良い。
私は数年前、渡米に際し、成田空港の両替所で一万円分をドルに替えた。
そのとき驚いたのは、印刷されたばかりの誰の手にも触れていないピン札が渡されたことである。
まるで近所に造幣局があるかのようだった。
外国旅行中に円を買うことはまずないし、扱っていない両替所がほとんどだろうが、仮にあったとして、もしそこでピン札の千円を渡されならたら「ここはどこ?」と狐につままれた気分になることだろう。
私の経験で、ドルの場合これは日常である。
「金は天下の回り物」とはいうが、今や「金は天下の回し物」なのだなと納得したものだ。
もし首相が「もう浄化は無理だ。キュリオン社もアレバ社も出て行ってくれ。」と発言したらどうなるか。
ここにまた巨大なインサイダー取引の余地が生まれる。
要注目。
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2011-07-08 Fri [ 原子力発電 ]
by 日詰明男
「使用済み核燃料は地下3000mまで掘って捨てるしかない」と森永卓郎がTBSラジオで言っていました。対象はすべての原発です。
それを聞いた出演者の阿川佐和子と大竹まことは「本当に森永さんそれでいいと思っているのですか!」と人格否定までしかねない勢いで怒りを噴出していました。
森永は意外な反感に直面し、たじろぎながらも小さな声で「でもそれしかない」とつぶやくのですが、二人の怒りは収まりません。
いつもはしゃべり足りずに時間切れとなるのですが、このときは森永からそそくさと話を切り上げ退場していました。
阿川と大竹の反応も良くわかります。
彼らは誰かに原発建設前の時代に戻してほしいと漠然と願っているのでしょう。
現状復帰の道がかならずあると信じている。
たしかに地上のほとんどの問題は、なにかしら現状復帰に近い状態まで回復することができる問題ばかりです。
ホメオスタシスも地上のいたるところで見られます。
「怪我の功名」になることさえあります。
不治の病とされる人でさえ、一直線に死へとは至らず、一進一退、何度も輝きを取り戻すものですし、医者に見離されても寛解する人さえいます。
絶望した人が「人間が作った問題は人間が解決できる」と励まされて自殺を思いとどまった、という話もありました。
生態系も含め、地上で営まれる日常は奇跡に満ちています。
私たちはそれを「あたりまえだ」とさえ言ってのけます。
このような経験則から「どんな問題も解決できないものはない」と人が信じるのも無理はありません。
しかしこと原子力に関してはまったくこれが通用しない。
情け容赦なく進行するエントロピー増大の冷徹な物理的不可逆過程そのものです。
涼しい顔でやすやすと奇跡を遂げてきたさすがの生態系も、核暴走には手も足も出ません。
すべての生命現象はこの恒久的で巨大な崩壊過程に寄生した、かりそめの散逸構造なのだと思います。
阿川や大竹のようにほとんど人は無意識に奇跡を望んでいるのだと思います。
森永は感情抜きで事実を語ったつもりなのでしょうが、聞き手が感情を噴出したのでたじろいだのでしょう。
僕の意見では、掘るのは大変。盛った方がまだまし。
遅かれ早かれ、子孫たちは先祖によって作られてしまった世界中の原発に、反転したアリジゴクのような「夢の山(核分裂火山)」を累々と築くことになると思います。
危険な場所としてわかりやすくもあります。
風化するまで少なくとも数千年。
とにかく、核開発は地上の生態系の寿命をかなり縮めてしまいました。
この不可逆の問題に比べれば、以前に取りざたされていた「地球温暖化」など、ガイアのホメオスタシスが期待できるかわいい問題でした。
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