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マイ・アーキテクト
by 日詰明男
建築家ルイス・カーンの作品を扱った映画「マイ・アーキテクト」を観た。
ルイス・カーンの息子が、父の作品を訪ねることを通して、亡き父の実像を追い求めていくというドキュメンタリーである。

かれこれ25年前、建築の学生だった頃、ルイス・カーンのバングラデシュ国会議事堂の図面に魅せられたものだ。その大胆なデザインは、近代建築の中で異彩を放っていた。
この映画の中で模型の映像や実物の動画が見られたことが何よりも嬉しい。あとはもう現地に行くしかない。

彼がエルサレムにシナゴーグを設計していたことについては不勉強にも知らなかった。
資金が集まっていながら瑣末な政治的理由で計画は頓挫しているという。
市長は「モスクよりも高い建築を建てると反感を買う」と上等の葉巻をくゆらせながら言い訳をしていた。
市長が建設資金を葉巻代に使い込んでいない事を祈る。

歴史上、すぐれたアイデアが、つまらぬ輩に足を引っ張られ、日の目を見ることなく永遠に埋もれてしまうことがどれだけあったことだろう。
だからなおさらバングラデシュ国会議事堂の存在は貴重である。
イスラム教徒が圧倒的多数を占めるバングラデシュで、着工後、カーン氏の死去や独立革命を経ながらも建設は引き継がれ、25年かけてあの国会議事堂が完成した事実は考えれば考えるほど深遠な意味を持っているように思える。
重機の無い地で、あの記念碑的建築は、文字通り、無数の人々の手で築かれたのだ。
その場所でムスリムが日々礼拝している。
現地の人々が、「カーンの建築は私たちに民主主義をプレゼントしてくれた。あの建築は私たちの宝だ」と涙を浮かべながら語る場面がある。

ユダヤ人が設計した建築をイスラム教徒が愛し、誇りにしているという現実に、私たちは真剣に向き合う必要がある。

建築を介して国境や宗教を越えた人々の結びつき、建築がもたらした心の豊かさの前に、ルイス・カーンの私生活やエゴは後退していく。これを偽善だと言ってしまったら、何人も崇高なことなど出来はしない。

フランク・ロイド・ライトの帝国ホテルをあっさり解体した日本人はいったいこの映画をどう見るだろう。ああいうものを守らずして何を守るというのか?
専門家は地盤沈下や老朽化を理由に、帝国ホテルが解体されたことを正当化している。
でも世界各地の建築遺産を支える人々の熱意を知る者からしたら、そんなものは言い訳にしか聞こえない。

今この国の人は、誇りとすべきあの平和憲法を再び壊そうとしている。
何が悲しゅうて、自分をそこまで貶めるのだろう。
「美しい日本」などとナルシズムに耽るよりも、まず私たちの愚かさに気づくべきではないか?
自分の愚かさを認識することを「自虐史観」と言って攻撃する人々がいるが、自分の愚かさに気付いていない自尊心など子供じみた「虚栄」にすぎない。

ルイス・カーンの教会が、将来、エルサレムに建設されることを祈る。
それは三宗教の和解の象徴となるだろう。
彼の建築ならそれができるかもしれないと思った。
どんな政治家も、宗教家もなしえないことを、建築はなし得るのである。


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