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博士の愛した数式
by 日詰明男
映画「博士の愛した数式」をテレビで見た。
原作は読んでいないが、映画から類推するに、数学に過剰なロマンを与えすぎていることが伺われる。
「数学は世俗とは無縁の抽象的真実」という認識はあまりにもステロタイプである。
数学者を浮世離れした人格として描きがちな背景には、作家の数学コンプレックスがあるのだろう。
こうした表現は数学をかえって近寄りがたいものにしてしまう。

数学は世俗だろうがなんだろうが遍在する。
世俗を見くびってはならない。
「数学は現実の生のデータである」(スペンサー=ブラウン)

オイラーの公式e^(πi)+1=0は確かに美しいが、まるで信仰の対象のように取り上げるのはいかがなものかと思う。
オイラーが生きていたら、このような無用な神秘化を決して歓迎しないだろう。
長沼伸一郎著「物理数学の直観的方法」39-48頁を読むことをお勧めする。
わずか10頁そこそこで、この等式の「あたりまえさ」が中学生でも理解できるように解説されている。

あたりまえだからといってオイラーの功績が過小評価されるわけではなく、むしろ全く逆である。
当たり前のことにかぎって、人はなかなか分からないものである。
日常から神秘を発見する仕事も重要だが、今まで神秘と思っていたものが氷解し、日常化する瞬間にも、人は大きな感動を経験する。

いろいろ批判はあるが、この映画のラストシーンは出色だった。
これは文学では表現できない領域である。
演劇でもこれは難しいだろう。
映画ならではの仕掛けをうまく使った。
原作の不満を払拭し、昇華した観がある。

無常を超越した「時間」の哲学。
「逆流する時間」がさりげなく描かれている。

私は黒澤明の「夢」やタルコフスキーの手法と同質のものを見た。

早速調べると、この映画監督、小泉堯史氏はやはり黒澤の弟子だったそうだ。
彼は黒澤の良き後継者かもしれない。


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