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3/14の3号機爆発について
by 日詰明男
指摘する人があまりいないのが不思議だが、3号機タービン建屋の屋根に穴が開いているのは何を意味するか。
タービン室は原子炉の奥の院ともいえる「圧力容器」と直接太いパイプでつながっている。
したがってタービン建屋の爆発は圧力容器内部のものと連動したと考えるのが自然だ。
圧力容器に酸素はないから、これは水素爆発ではない。
3号機の爆発では1号機と異なり、最初に大きな炎が見え、黒煙が上がった。
3号機建屋の上部が、外観から見ても、核燃料プールもろとも吹き飛んでいるとしか見えないこと。
格納容器および圧力容器の健全な姿は未だに確認できない。
熱によると思われる鉄骨の変形も尋常ではない。
隣の4号機の使用済み燃料がその直後に燃え始めたのは、単に冷却系が失われただけの理由ではないだろう

米軍の無人偵察機「グローバルホーク」が撮影した3号機の鮮明な写真が政府に提供されたというが、「正しいパニック」を恐れるのか、未だに公開されないのが不気味である。
こうした不透明性が「誤ったパニック」を誘うものなのに。

格納容器と圧力容器の強度が安普請あるいは老朽によって低かったせいで、あの程度の爆発だったのかもしれない。
とにかく3号機の内容物は相当露出し飛散したと思われる。
これが実態だとすると、注水などしている場合ではないのではないか。

当局はチェルノブイリのレベル7、あるいはそれ以上のであることを何が何でも認めたがらないだろうが。


|| 11:15 | comments (x) | trackback (x) | ||
「無限」の恐怖
by 日詰明男
(友人への返信)

福島原発の惨状を目の当たりにしても、東電の幹部はまるで他人事のような物言いをし、まるでウルトラマンかドラえもんの登場を期待しているかのようです。
現実感の喪失。
ヴァーチャル・ゲームのやりすぎ、漫画の読みすぎは引きこもりだけではなかったようです。

遠くドイツでは、人知学徒たちがこの危機を正しく敏感に感じ取り、人々の心を動かしたのでしょう。
彼らの行動力、組織力は目を見張るものがあります。
80年代のドイツで反原発路線に火をつけたのも緑の党でした。
現在もふたたび立ち上がったのでしょう。

二号機、三号機の破損状態から見ても、冷却系が復活するなどとは到底思えません。
設備が吹っ飛び、海水をしこたま投入し、誰も近づけぬほどの放射線量に至ったこの状況でも、東電や学者はマニュアル書どおりの手順で事をすすめるつもりのようです。
新しく投入する水はすべて汚染され、そのまま心太式に蒸気や排水として環境に出るばかり。
このままむなしい放水と見込みのない修理を何年も何年も続けるのは、国民にとって精神的にも肉体的にも耐えられません。
福島原発はまるでブラックホールのように人の命を片っ端から飲み込もうと口を開けています。
このままだといずれ作業員の不足から徴兵制のようなものが敷かれても不思議はありません。

今の段階で、土砂をかぶせても融けるだけだと学者は言います。
確かにチェルノブイリの石棺のように、土砂やコンクリートを節約したならば、耐久性はあまり期待できないでしょう。
せめて地下核実験の域に持ち込むまでに、大量の土砂で地層を一層一層積み上げていく。
安息角の斜面をなす裾野の広い人工火山の形になるでしょう。
自然火山のマグマだまりも地下深くで岩石を溶かし続けているわけで、ある程度の地層があれば、休火山で収束する可能性はあります。
「核分裂火山」はもうそのような形におさめるしかないのではという諦めの形です。
いまさら地下深くには埋められませんから、山を築くしかないと。

今まで無数のダムや堤防をひっきりなしに建設してきた日本の土建屋さんならば山を築くなど朝飯前のはずです。
こんなに彼らが頼もしく見えたことはありません。
三菱、東芝、日立、石川島播磨には、放射線を遮蔽する重装備の特殊ブルドーザー、バックホー、トラック、コンクリートミキサー車を緊急に製造してもらわないと。

「正しいパニック」という語を多くの人が口にし始めています。
僕が知る限りでは広瀬隆氏が最初に言ったと思います。
この語が今一人歩きしているようです。

発電や送電、蓄電のロスを考えると、どんな方法であれ「電気」は基本的に割のあわないもの。
それでも必要だから人々は利用してきました。
照明や公共交通、コンピュータなら利用する価値はあります。
でもトイレの便座までにはどう考えても電気は必要ではないですよね。
オール電化などもってのほか。
クーラーも皆がせーので止めれば都市はかなり涼しくなるはずです。

原子力は「必要悪」のレベルではなく、正真正銘の「悪魔的なるもの」であることが誰の目にも明らかになりました。
リスクは有限だからこそ技術の中に折り込めるわけで、無限性を帯びた核分裂というリスクは、ねずみ講同様に、有限の地上に存在してはならないシステムなのでしょう。

|| 07:56 | comments (x) | trackback (x) | ||
核分裂火山
by 日詰明男
福島原発の状況は911と並んで世界の色をすっかり変えてしまった。

最悪の場合、いずれかの原子炉が臨界に達し、融けたウラン燃料の塊は核分裂を維持し、放射線を多量に発しながらながら炉心を破り、厚い基礎をも破って地中に沈んでゆく。いわゆるチャイナ・シンドロームならぬ、この場合アルゼンチン・シンドロームである。
そして地下水脈と出合った時に水蒸気爆発が起こり、多量の放射性物質を日本国上空どころか世界中に撒き散らすだろうと言われている。
これは人類がまだ経験したことのない大惨事である。

このまま水をかけつつ、生殺しの状態を維持しながら、何年も何年も放射性物質を含む蒸気を放出し、汚染された水を海に放流し続け、無数の作業員を放射線に晒し続けるしかないのか。
未練がましく対症療法のようなことを続けても、成果の見込みは限りなく薄い。

学者たちはチャイナ・シンドロームを恐れ、とにかく冷やすことが最優先と口をそろえる。
原発信奉者は、原発が復元できると妄信し、未だに廃炉の選択を認めようとしない。

どちらも私には絶望的としか思えない。

とすると次のような可能性に賭けるしかないのではないだろうか。
仮にチャイナ・シンドロームに陥ったとしても、運がよければ地下水脈に出会わず、ウラン塊はそのまま静かに地核へと落ち込むかもしれない。
ならば、放水冷却を諦め、水蒸気爆発のリスクを承知の上で、広瀬隆氏が言うように土砂やセメントで封印するしかないのではないか。
中性子線は無理としても、ガンマ線を遮る程度に重装備したブルドーザーで、どんどこどんどこ可及的速やかにギザのピラミッド級の土砂で封印するしかないのではないか。
人工のマグマならぬ「核分裂火山」である。
爆発するかもしれないし、休火山となるかもしれないし、死火山になってくれるかもしれない。
休火山で収まってくれれば、大気中の放散や海中汚染は最小限に抑えられる。犠牲者も最小限に抑えられるだろう。

水蒸気爆発が起こったらこの賭けは負けである。
しかし考えようによっては、現状のままでもだらだらと緩慢な放射線物質の垂れ流しは広がっているわけで、どっちみち飛散の総量は変わらない。
一瞬か長期かの違いである。

この事件を解決する最善の解はない。

原子炉を放置したまま、生き残った日本国民が難民として世界中に散らばるというシナリオが最悪だろう。世界にまだ逃げ場があればの話ではあるが。


|| 01:06 | comments (x) | trackback (x) | ||
犠牲行為と引き換えの条件
by 日詰明男
大前研一氏によると、福島原発がこれ以上悪化しないという前提でも、現在行われている大量の注水作業を少なくとも3年から5年持続しなければ冷えないそうだ。その間放射線物質出っ放し。
そしてほぼ封印するまでに十数年と見積もっている。
http://www.youtube.com/watch?v=8GqwgVy9iN0
その間、現場で作業する人々は深刻な放射線被曝をせざるを得ない。

そのような犠牲行為を国や会社の命令で余儀なくされる人の心境は察するに余りある。
彼らの犠牲行為の結果、再び原子力依存体質の社会が存続するとしたらまったく救われない話だ。
そのような社会は救われるに値しない。
もしこの社会が本気で反省し、日本全国の原子力発電所をすべて廃炉にするという決定を下したのならば、福島原発に臨むすべての犠牲行為は本当の意味で生きてくる。

原子力に依存せず、既存の水力だけで幸せに暮らしているニュージーランドやコスタリカを見習おう。



|| 10:48 | comments (x) | trackback (x) | ||
福島原発事件
by 日詰明男
ついに最も恐れていた原発事故が起こってしまった。

地震、津波、火災による壊滅、そして過酷な避難生活。
数万人に及ぶであろう死者。
1000年に一度の超弩級天災である。
それでも希望を持って生き抜こうとする人々を報道は伝える。
自然災害に限定されていたならば、諦めもつくし、希望も見つけられる。
世界中から集まる同情や励ましも素直に受け入れられる。
事実、歴史を見ても、人はどんな天災にあってもたくましく復興を遂げてきた。

さあ復興という気運が生まれるか生まれないうちに、それを踏みにじるように、本来なくても良かった原子力発電所の崩壊が次々と起こった。
これはあまりにも過酷である。
目に見えず、静かな、そして半永久的に続く、容赦ない津波がじわじわと押し寄せている。
この津波には緊急退避してしのぐ最寄の高台もない。
この不可視の津波には救いが見出せない。
前政権や企業の宣伝するまま、原子力発電所建設を許してきた私たちの自己責任である。
野放図に原子力発電を増やし、ほしいままの電化生活を享受してきた報いである。
運よく地震や津波を逃れた人を、ふたたび谷底に突き落とすような仕打ちである。

福島原発の冷却機能喪失の第一報が報じられた時、まず私の脳裏に浮かんだのは30年前に見た映画「チャイナ・シンドローム」だった。
以後私はあらゆる報道から目が離せなくなった。
固唾を呑んで現在もできる限りの情報を注視し続けている。

にもかかわらず、マスメディアは昨日あたりから通常放送に戻りつつあり、バラエティ番組に興じている。事件性の大きさは浅間山荘事件の比ではないと私は思うのだが。
被災地以外の原子力発電所は自主的に停止する気配もない。
こんな危機意識の低さでいいのだろうか?
全世界の原子力発電所は即刻「止める」、「冷やす」、「閉じ込める」に着手して欲しいというのが率直なところである。
完全に冷やして閉じ込めるまでに十数年、あるいは数十年かかるのだから、その猶予に起こりうる天災、人災、テロを考えれば、廃炉は早ければ早いほうが良い。

福島原発を封印するとなると、このモンスターの首に誰かが鈴を付けなければならない。
多くの人を救うために、放射線の雨あられを受け、爆発の危険や無駄死にを覚悟で立ち向かう行為は正真正銘の「英雄」である。
今回も既に放水作業など命がけの作業を行った多くの無名の英雄がいた。
英雄行為には最大級の尊敬をするが、しかし今回の英雄行為だけは何ともやりきれなさが残る。
子どもは別として、原発建設を放任した私たち大人は、英雄の献身によって救われる資格があるのだろうかと。
強欲から原発を推し進めてきた人たちは、英雄の死後もしめしめとまた原発から恩恵を受け続けるだけなのではないか。
つまりこの英雄行為はあまりにも報われないのである。

先日のテレビ画面で、津波で廃墟となった原子力城下町の、つい10日前までは賑やかに稼動していたであろう目抜き通りにかかる看板には「明るい未来・原子力」という文字が虚しく垣間見えた。

1000年に一度の天災だから許されるというものではない。
1000年に一度だろうが一億年に一度の天災だろうが、最悪の事態が想定される限り、原子力発電は作ってはならなかったのである。
「地球をうっかり壊しちゃった。」と子どものようにべそをかいても、尻拭いしてくれる親はどこにもいない。
原子力というモンスターを人間が制御できると奢り高ぶったことがそもそもの間違いだ。
福島原発事件はバベルの塔の崩壊に匹敵する黙示録的事件である。
日本のみならず原子力発電保有国すべてがその共犯者である。

|| 22:14 | comments (x) | trackback (x) | ||


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