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選挙制度に思う
by 日詰明男
投票日直前だというのに、マスコミはあいかわらずお気楽な番組ばかり垂れ流している。
何だろう。このシラケきった静寂は。。。
これでは投票率は下がりこそすれ、上がることは無いだろう。

もちろんこれは公職選挙法の報道規制によるものである。

国民が政治にもっとも関心を持ち、活発な議論を尽くすべきときに、それを封殺する選挙制度とはいったい何だろう?
「国民は政治に対して余計な関心を持たないように」という、与党の心配りであろう。「何も考えず、働け働け」と。

かくして聞こえるのは、莫大な選挙財源を持つ政党の宣伝カーによる名前の連呼だけである。

選挙制度は、与党によって自分たちの都合のよいように作り変えられてきた。
これはもはや「インサイダー選挙」と呼ぶべきである。

たとえば選挙管理委員が与党の構成員で占められていたとしたら、誰もがそれはフェアではないと言うだろう。
ベネチアでは、不正が絶対起こらないように、票を数えるのは子供にやらせたという。念には念の入れようである。

選挙制度も同じことである。自分たちが選ばれる方法を、代議士自身が多数決で決めたらフェアではないのは子供でも分かる。
懲役刑の囚人に新刑法を採決させるようなものだ。

まあ既成事実に愚痴を言っても仕方が無い。
でも、ゆくゆくは少しでもフェアな形に変わって欲しいものだ。

ところで、以前cesaro氏が書いた選挙制度構想を、この機会に引用しておこう。

======
2005年 09月 15日
こんな選挙制度どう?

一票の格差や、死票が問題にされて久しい。
どんなに定数是正をしても、国会内で議員の投票権は一票だから、格差も何もあったものではない。1万票で当選しても、10万票で当選しても、国会では同じ1票である。

では、もっとましな選挙制度はないだろうか?

もちろん直接民主制が理想的なのは言うまでもないが、時期尚早である。
陪審員制度のように、一般人から無作為に選び、一定任期だけ議員を務めるという方法も、現行の選挙制度よりはマシだろうが、これもまだ時間がかかりそうだ。

そこでより現実的な案として、以前から考えていた方法をここに記そう。

選挙区は小選挙区でも中選挙区でも全国区でもなんでもいい。
政党ももはや不要である。(党議拘束なんてかけられて独裁国家へ向かうだけだからね。)
投票はあくまでも候補者個人に対して行われる。

政党的なものは立法機関としてならあってもいい。
でも法案の是非は、あくまでも議員個人に委ねる。

まず前提として、候補者が今までどの法案に賛成、反対、棄権してきたか、データが完全に公開されていなければならない。
これらは、インターネットや、新聞、各市町村図書館資料として、だれでも検索できるようにしておかなければならない。

(これぐらいのことは本来、実現していて当然なのだが、なぜかできていない)

選挙民はそのデータや人柄を吟味して、一候補者に投票する。


投票時には必ず写真入りの身分証明を提示する。
(これはあたりまえのことのはずだが、日本ではノーチェックである。どうして改善しないのだろう?)

選挙監理委員の透明化。
(これも現在、運営が不透明だと言わざるを得ない。)

さて重要な改良点はこれから。

選挙後、その候補者は、自分が獲得した票と同じ票数を国会で行使できる。

こうすれば、死票は少なくなる。
一票の重みの格差もどんな選挙区制度であってもほとんどなくなるだろう。
したがって民意が反映されやすい。

極端に考えれば、一票しか投票されなかった人でも国会議員になれる。
つまり国民全員、自分自身に一票いれたものがいわゆる直接民主制だともいえる。

現実に国会に全国民を収容できない以上、また、インターネット投票もまだまだ信頼できない以上、候補者に供託金納付を義務づけ、落選者を出さねばならぬ事も、必要悪として当面やむをえない。
それでも死票は最小限に押さえられるだろう。

この選挙制度の方がシンプルで民意を反映しやすいと思うのだが、どうだろうか?

人気者に票が集中して危険だ、という批判も出るだろう。
衆愚が衆愚として反映されたとしても、それが民意の大多数ならば仕方がないことだ。
しかし確実に少数意見は国会で反映されるようになるはずだ。
現在の選挙制度では、少数意見は完全に発言権を奪われている。

====
(引用終わり)

落選者が獲得した票は、落選者自身の判断で、当選者に振り分け、票を預託することにすれば、さらに死票は少なくなる。


|| 14:53 | comments (x) | trackback (x) | ||
原子力発電(続き)
by 日詰明男
ウラン濃縮を民間子会社に発注し、ウランのバケツリレーを許していた国ですから。
ダンボール入り肉まんの方がよほど安全です。

補助金と鉄筋コンクリートをふんだんに使って原子力発電所を建てれば、土建屋は一時的雇用に沸くし、自治体も見返りとして多額の交付金や箱物施設をもらえますから、近隣住民の生命は二の次というわけでしょう。
電力会社もうしろめたさからか直接近隣住民にも迷惑料(現ナマ)をばらまいているとも先日ラジオで聞きました。

電気代は一見安く見えますが、こうした闇経費が税金の形でジャブジャブ使われているわけですから、実は非常に高くついているはずです。

原子力発電は万全な最終処分方法が確立されないまま見切り発進し、今日に至っています。
核廃棄物はたらいまわしにされるか、あるいはどこかに無造作に保管されているだけです。いつかなんとかなるだろうということで。
近視眼的な、あまりに近視眼的な。。

発電所が事故や寿命で使えなくなった後、人類が払う代償は想像を絶するものになるでしょう。
そんなハンパ物を、この地震国で50基以上も建てれば、事故は起こるべくして起こるというものです。

電力会社はテレビCMなどで原子力のイメージアップにも熱心ですよね。
地方の科学博物館では、原子力発電所がスポンサーになって「明るい未来」を謳う子供向けの科学ワークショップが開かれています。
その効果あってか、世間では原子力による電力が二酸化炭素を出さないからクリーンであるとか、化石燃料に比べて安価だとか、とんでもない空想的イメージがまかり通っています。
よりによって原発がエコロジカルだと言い出す人まで出てくる始末。

柏崎刈羽原子力発電所の関係者は他人事のように「事故は起こらないという前提で作られているから、想定外の事故がおこったらどうしようもない」とお役人のような言い方をしますね。


|| 09:58 | comments (x) | trackback (x) | ||
年金
by 日詰明男
消えた年金記録が話題になっている。
政府は選挙前に必死で取り繕おうとしている。

数年前はグリーンピアという箱物施設に年金をつぎ込んでいたことが問題になった。
政府はあわてて全てのグリーンピアを廃止し、民間等に払い下げ、約1,900億円の損失が確定した。
いったい何人分の老後が泡と消えたのだろうか?

もっと深刻なのは、年金資金が、株や為替の買い支えに投入されていることである。
こちらの流用の方がよほど巨額だと思うのだが、マスコミではなぜかあまり取り上げられない。
本当に積立金は残っているのだろうか。
最近、これ見よがしに「年金積立金の株式運用でちょっと増えた」ことが報道されたことからして、依然、懲りずに年金流用でギャンブル遊びに興じているようだ。

(参考サイト)
公的年金積立金 なぜ株投機に?
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik/2002-08-03/15_1201faq.html

「年金」で「自己責任」を負わされる国民
宇佐美 保http://members.jcom.home.ne.jp/u333/ithink040505nenkin%20jikosekinin%20kokumin.htm

もう泥の舟であることは誰の目にも明らかなのに、政治家は滑稽にも沈み行く舟にしがみつき、掛け声だけは威勢よく「おもかじいっぱーい」と叫びながら沈んでいくのだ。

ちょうど1989年、崩壊寸前の東ドイツの映像を思い出す。
東西統一がにわかに実現性を帯びたころ、ホーネッカーに代わってクレンツが書記長に成り上がった。
念願の書記長の座。
彼はこの地位を得るためにどんなことでもしてきただろう。
民衆を監視し恐怖政治で迫害し、政敵を貶め、片や上司には媚びへつらって官僚主義の階段を上りつめた男である
しかし、ちょっと遅すぎた。
希望に沸く群衆を前に、精一杯の(ひきつった)作り笑いを見せながら、「改革」を約束し、必死で延命を図った。
上司には媚びることに成功してきた彼も、目覚めた群集には通用しなかった。

クレンツ政権は1か月ともたなかったのである。


|| 09:21 | comments (x) | trackback (x) | ||
原子力発電
by 日詰明男
柏崎刈羽原子力発電所における原因不明の漏水が問題になっている。

原子力発電所建設の現場監督をしていたエンジニア故平井憲夫氏による「原発震災を防ごう」という驚くべき報告に目を通そう。
http://members.at.infoseek.co.jp/genpatsu_shinsai/

この著者は発電所内部での恒常的な被爆により、癌で亡くなったそうである。

こんなものが日本には52基もあるとは。。。
招かれざる未来への遺産以外のなにものでもない。


|| 15:48 | comments (x) | trackback (x) | ||
薔薇と海賊
by 日詰明男
向陽舎「薔薇と海賊」を見た。

http://koyosha.blog107.fc2.com/

意表をつく冒頭部から、気が付けば劇中に引き込まれていた。
2時間に及ぶ上演時間が全く長く感じられなかった。
面白い演劇である。
役者も生き生きと演じていた。
間口の広い作品だと思う。
照明や音響の演出も心憎いほど行き届いていた。

三島の戯曲をいくつか観たが、一貫してソクラテス=プラトンが指し示した「狂気のイデア世界」を現前させようとしているように見える。
それこそが真のリアリティなのだと。
劇中劇、劇中実、実中実、実中劇の階層が入り組んだ虚実の反転。
あらゆる価値観の転覆。
これ以上の革命があるだろうか。
それを三島は最後まで夢見た人だったのだろう。

人間が人間の演ずる劇を見て楽しむということ、それ自体が、考えれば考えるほど面白いことだ。楽しかった劇を見終わった後にいつも思う。
「演劇」という仕掛けもまたギリシャが起源である。
人間の滑稽さがとてもいとおしく、そんな人間に生まれてよかったと思う。

会場の天井からは色とりどりの色水が入った風船が吊るされていた。
それを主人公の松山帝一が玩ぶ。
幼児の頃(40年以上前)聴いた童謡「ドロップスの唄」を思い出した。

「むかし 泣き虫かみさまが
朝やけ見て 泣いて
夕やけ見て 泣いて
真っ赤な涙が ポロン ポロン
黄色い涙が ポロン ポロン
それが世界中に 散らばって
今では ドロップス
子どもがなめます ペロン ペロン
おとながなめます ペロン ペロン

むかし 泣き虫かみさまが
悲しくても 泣いて
うれしくても 泣いて
すっぱい涙が ポロン ポロン
あまい涙が ポロン ポロン
それが世界中に 散らばって
今では ドロップス
子どもが食べます チュルン チュルン
おとなが食べます チュルン チュルン」(まど・みちお作詞/大中恩作曲)

あの唄好きだったなあ。


|| 15:06 | comments (x) | trackback (x) | ||
STUDIO VOICE 8月号
by 日詰明男
書店に行くと、平積みにされた雑誌の中に、聖セバスチャンとして描かれた三島由紀夫の像(横尾忠則作「理想の実現」)が目に入った。
STUDIO VOICEの表紙である。
なんと今号のテーマは「政治を考える」である。
緊急特集といった風情だ。

http://www.infaspub.co.jp/studio-voice/newest.html


STUDIO VOICEがこのような特集に打って出るということは、よほどのことである。
時代のさしせまった空気を、もっとも敏感に感知する人たち。
こういうところから口火が切られるのだろう。

企画は柄甚原権三とある。
巻頭言には

「・・・
さまざまな局面で、あなたは行く手を阻まれる。
そこで発見するのは、敵とそっくりな姿をしたあなた自身だ。
・・・ 」

とあり、問題の急所を見事に言い当てている。
末尾は

「動かそう。」

の一語で結ばれ、心に確かに響いた。

記事内容も先鋭で、他の自称リベラルな言論雑誌よりはるかに琴線に触れるところが多い。
寄稿者は田中康夫、宮台真司、大澤真幸、外山恒一、竹熊健太郎、雨宮処凛などなど。

いままで沈黙するほかなかった、あるいはその反動で強がりを言うしかない「虐げられた若者たち」が、いよいよ動かなければどうにもならないと行動を起こし始めている。

鉄道人身事故が毎日のように起こり、それがあたりまえになっている恐ろしい日常。
この国は今ベトナム戦争の真只中にある。


|| 12:13 | comments (x) | trackback (x) | ||
七夕
by 日詰明男
今日は七夕、といわれる。

ところがそれは大間違い。
本来の七夕は今年は8月19日。
本来の正月から数えて7つ目の新月から7番めの月。
その日から満月までがいわゆるアジアにおけるお盆の大セレモニーである。
まさに「秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる」の頃合である。
当然梅雨空であるわけもなく、満天の星の下で先祖は宇宙に思い思いの夢想を広げていた。

日本以外のアジア諸国は太陰暦をかたくなに守っている。
そうあるべきだ。
天体運行と同期しない祭りに何の意味があろう。

太陽暦はあくまでもビジネス時計として割り切って使えばよい。
祭りに月は主役である。
月齢に従った祭りを取り戻すことが急務である。
それだけでも、人の心はもっと豊かになるだろう。

驚くべきことに、日本では僧侶ですらそれほど月齢にこだわっていない。
聖職者もビジネスに徹しているということだろうか。
一見自然に近いと思われる農家も、肥料や農薬のおかげで暦を以前ほど優先していないようだ。

意外なところで、サーファーほど月齢を気にしている人々もいない。
おいしい波に直接影響するからである。
彼らは携帯の待ち受け画面に毎日の月の状態を表示させているほどだとも聞く。

現代で最も自然と近いところで生き生きと生活しているのは茶髪のサーファーかもしれない。
聖職者としての彼らの話は傾聴に値する。


|| 23:43 | comments (x) | trackback (x) | ||
YouTubeにて
by 日詰明男
広島の個展「黄金比の鐘楼」の様子をYouTubeにアップロードしました。
ご覧ください。

http://www.youtube.com/watch?v=6TlDF1a3rC0


|| 22:24 | comments (x) | trackback (x) | ||


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